幼少期⑦

ちょうどクリスマス会の練習をする頃。
私のクラスの担任の先生が怪我のため休養することになった。
そのため隣のクラス(当時は同い年でもクラスがA組B組と分かれていた)
の担任の先生「M」が兼任することになった。
そしてハンドベルの練習に取り掛かる。
曲は「きよしこの夜」。
十何人かでベルを交互に鳴らしていき演奏するのだが、
私はいつまで経っても上手くできない。
歌詞の「ねむりたもう」の部分が特に難しかったと記憶している。
 
居残りしてその隣のクラスのM先生とマンツーマンで練習する。
私の足りない頭では理解できなかったのだろうか。
でも私の記憶では、M先生のメガネの奥の鬼のような形相、
「そうじゃないでしょう!?」の繰り返し。
涙と鼻水を垂らしながら練習をした。
それでも本番では、演奏することができたのだから、なんとか覚えることができたのだろう。
ようやく練習が終わり、帰りの集会(園庭にみんな集まり、歌うか踊るかした後挨拶して帰る)に行こうとすると、
幼少記の最初の記事に出てきた友人「Y」が教室の外で待っていてくれていた。
Yはニコッと笑い「行こう」と言ってくれた。
その時は、寂しかった自分の心に、光が差したような、とても嬉しい気持ちでいっぱいになった。

M先生は、今もその幼稚園にいて、園長先生をやっているらしい。
ハンドベルの時は怖い先生だと思ったけれど、
大人になって連絡帳を見返したときは、私に対して何も悪いことを
書いていた記憶は無いし、
幼稚園に通っていた当時、母と買い物に行き、たまたま買い物中の先生に
ばったりあった時も、気さくに挨拶してくれた。

ここで問題なのは、M先生の私に対する対応ではない。
マンツーマンで練習している時も、自分でなんとかしようとしなかった。
その練習に限った話では無いけれど、私はやっぱり
その場の雰囲気やイメージに影響されやすかった。
どうやったら上手くできるだろう。ではなく、
どうやったら先生に怒られないだろう。という思考になるのだ。
ハンドベルの練習に意識が向かず、先生にばかり意識が向く。

その意識の癖は、これからの人生に大きく影響してしまう。
それも自分では気が付かずに。

そんなこんなで、着々と小学校へ通う日が近づいている。

つづく。

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