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近所に友だちがいませんけど何か?

いきなりですが、私はいま現在、近くに友だちと呼べる人がいません。いなくなったといったほうがいいかな。遠方には「友だち」と呼べる人はいるけど、数年に1度あるかないかの頻度でしか会えず。

歳を重ねてわかったのが、友だちはライフステージの変化とともに、簡単に増えたり減ったりするということ。学生時代、社会人、趣味のサークル、何らかの団体、お子様のPTA関係、自治会等々、そういうのに属してこその友だちであって、それらの関わりから離れるとあっさりと関係が終わるんだよ。

数年前まで、とある癒やし系団体にあしげく通っていた時、そこですごく仲が良くなった友人がいて、ずっと仲良くできる関係になれそうだと思っていたのだけど、私がその団体を抜けたことをきっかけに縁遠くなり、今ではまったく連絡も取らないし、取る理由もなくなってしまった。

なんというか次元の断絶というか、住む世界がお互い変わってしまった感覚。これって、学校卒業した数年後に同窓生と会った時もそんな感じになるじゃない? 一緒に過ごした時は仲良しでも、一度離れてしまうとお互いにまったく別世界の人間になってしまう。また、自分自身も心境の変化が何度もやってくるので、昔と同じ気持ちではいられないし。

久しぶりに会ったとしても、なんとなーく「今なにやっているの?」とか、もしくは愚痴だったり、年齢も年齢なので楽しい話はあまりない。ましてや、50代ともなると、出てくる話題が介護やら病気の話題がメインになるので、あまり言いたくもない。そのせいか、同級生との連絡は年賀状くらいのもので、直接の連絡はパタリと止んでしまった。相手も自分の家のことを言いたくもないでしょうしね。察するに、50代ともなると家族関係複雑だったり、体調悪くて面倒くさくなるし、夫婦仲険悪とか離婚とか介護とか子どもの問題とか。

なので、「知り合い」と呼べる人はいても、「友だち」と呼べる人はいません。かろうじて夫がいるので「孤独」まではいかないけど、仕事を抜きにして遊べるような友だちは今は近くにいないです。

前述の某団体を抜けた時に悟ったのよ。ああ、人間関係ってどこかに所属してこそのつながりなんだなと。どこにも属していない人間は関係性を作れないのだ。所属をやめた瞬間から友人関係がなくなったので、友だちって意外と薄っぺらいし上っ面なものなんだなと悟ったわよ。

人生の中で散々所属が変わるたびに、人間関係がくるくる変わってきたこともあって、そこまで深く付き合えなくなっている自分もいる。どうせここから離れたら、そのまま希薄になるんだろう。人間関係を続けるにはけっこう努力が必要だからね。

今のところ、夫との夫婦関係、親子関係、兄弟関係のほかに、バイト先での人間関係はあるけど、それは「仕事関係」なだけで、友だちではない、ただの知り合い。

そもそも友だちがいないって悪いことじゃない。寂しくないかと言われたら否定はしないけど、そこまで苦しくもない。無理して関係を作ろうとするほうが苦痛だ。だったら私はささやかな家族関係を大事にしながら、自分を大事にしつつ終活に勤しみたいし、幸い今はバイト先があるので、そこでの仕事を通した人間関係を、あくまでも「仕事」として遂行するのみよ。

もっと将来のことを考えた時、仕事ができなくなって人との関わりがなくなり、家族が順番に亡くなって(自分が最後に生き残る前提だとするとね)、子どもがいないので、それこそ自分の後始末をどうするか考えないといけないよなーと考えると、友だち関係よりも後見人探しが大事になってくる気がする。あたしゃもっぱらそっちだね。

思うに、友だちほしい人は、やっぱりどこかのサークルでもなんでも集まりに参加したらいいと思うし、それもできない人はひとりを楽しむ術を身につけるほかないでしょうね。私なんて、一人でもNetflixやアマプラ、ゲームがあれば余生楽しく送れると思ってし、今でも十分楽しいけどなぁ。

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