祈り
人類の大昔から「祈る」という行為をしていたそうです。
祈る理由としてはいろんな意味があります。
世界の平和や他人への思いを願い込めることや
神格化されたものに何かをお願いしたりすることが祈るに該当します。
世界中の人は人生で一度以上祈った経験があると思います。
日本であれば神社やお寺などで祈ったり、
人によっては毎週教会で祈ったり、
家族の安全や幸せを願う為何かもわからない神に祈った経験があると思います。
しかし実際神様なんてほとんどの人が見たこともない。
どれだけ祈ったり、お願いなどしても結局自力で努力しなければ現状はほとんど変わらない。
努力して、祈願もしたのに結局受験に落ちる等、皆さんいろんな経験をさえてきたと思います。
ここまでくれば理解できると思いますが、
神様や仏様などは存在しないのではないでしょうか。
本当に神様がいるのであれば世の中ありえないくらい悲しい出来事は基本的には起こらないだろうし、毎日が全員幸せに生活できるはずです。
私の祖母はリウマチになり、指が曲がらなくなり、それがきっかけでヘルニアになり最後には白血病で毎日いろんな激痛に悶えながら亡くなりました。
神様がもしいるならなぜこんな悲惨な思いをしなければならないのでしょうか。
いろんな人から明るく優しかったといわれ続けていた祖母は苦しみながら他界しました。
親戚全員が神に祈り、なんとか祖母が楽になりますようにと願った結果がこれです。
正直神様なんていないし、祈るだけ無駄だと当時本気で私は考えました。
しかし祈ることに意味を持たせられる場合があることを最近知りました。
できるだけ合理的に行動し、最後に祈るといったスピリチュアルを加えるのです。
全てを祈るのではなく、「できることはすべてやったのでダメ押しとして祈る」という形が理想です。
神がいるからとかいないからという理由で祈るのではなく
神がいなくても祈るということです。
あくまでも儀式的なものであり、それに効力を求めることが間違いだということです。
神などを信じ、善行を積むのは本当にいいことですが、なにかを引き換えにいただこうとする考え方が間違えているのです。
かなえたい夢やほしいものが在るのであれば手に入れるために考え、行動する。その後神様などにお願いしに行くくらいでいいのです。
信じるのは他人ではなく、自身の身です。
他人に期待して裏切られ、傷つくくらいなら自身を信じ行動するしかないのです。
それが納得できた瞬間に他人に腹が立つことが減少し、自身をストイックに成長させられるのかなと感じながら神社で昇給しますようにとお願いをする休日でした。
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