見出し画像

国語が苦手

自慢ではないが、勉強は中学まではほとんど頑張った記憶がないのだが、全教科とも学校の授業だけで、塾にも通わず(通う塾も無いような田舎町だったのもある)、宿題以上の勉強を頑張るようなこともなく、そこそこ良い成績が取れて、高校受験もさほど努力することもなく、進学校に入学できた。

高校に入ってからは、周りができる人だらけで、全然授業についていけなかった。
それでも中学までに家庭で勉強しない癖がついてしまった私は勉強をしなかった。唯一「数学」だけがそこそこな成績を取れたので、そこの一点突破だけで大学進学したと言っても過言ではない。

苦手な教科は、国語と英語と社会と…
とにかく、文章を読んで理解するのが苦手で、本を読むのがとても遅く、読解するのに非常に時間がかかる。
英語や古文については単語を覚えるのが苦手だし、社会は歴史を記憶するのが苦手。。要するに努力して覚えることが苦手なのである。

逆に、論理的に思考すれば解けるような数学は、そんなにたくさん記憶しておかなくても答えにたどり着くので点が取れるということ。

そんな私の勉強嫌いな部分は今でも全く変わっておらず、読解力が無いのもあいかわらず。
会議に参加しても、みんなの発言をキチンと理解できないことも多いし、意見を求められるとちゃんと理解できていないから、フワッとした意見しか述べられないことも多々ある。。

音楽を聴く時も、日本語の曲なのに、メロディーしか頭に入ってこず、歌詞が全く入ってこない。
歌詞を理解しようと思って「聴くぞ!」と思って聞いても、理解できないことが多々あるし、本当に理解したい時は、スマホやPCで歌詞を検索して、その歌詞を目で追いながら曲を聞くぐらいしないとちゃんと理解できない。



そんな私は、理系の情報系の学部の大学を出てたのに、SEにならず、新卒で印刷会社に入社し、広告などの印刷物を作る仕事をするようになった。

入社当初は「デザイン」っていう仕事が楽しくていろんなものを作ったが、わがままに好き勝手に原稿を紙面に並べただけの自己満足で、その当時作った印刷物を思い出すだけで死ぬほど恥ずかしい。見た目ばかりで「正確に伝える」という視点はあまり持ち合わせていなかった。

ただ、印刷会社に勤務する年月を重ね、いろんな実績を積むごとに、デザインの本質が理解でき、広告とその読み手をちゃんと繋げることの重要さを意識しはじめると「文章づくり」から逃げることができなくなる。



ただ、あれだけ国語が苦手だった私ですが、文章を作ることはあまり苦ではない。

取材して自分で文章も書くし、
コピーを考えたりするのも好き。

ただし、作成するのにめちゃくちゃ時間がかかってしまう。
何度も読み返し、ちゃんと誤解なく伝わるかをかなり吟味するからだ。

逆にもし仮に、

国語が得意で、すぐに読解できる力が私にあったら、
読解できない人の立場で文章を吟味することもなかっただろうし、
難しい言葉を並べていてもそれが理解できない人のことが想像しづらかっただろう。

国語が苦手でよかった。

国語が苦手だからこそ、
読解するのに時間がかかるからこそ、
伝わる広告を考えられるような気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?