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SNSでの「いいね」が気になってしまう。

私はX(旧Twitter)やInstagramなどのSNSをしている。

そこでは、日々の何でもないことや、たまに歌の動画を投稿したりする。

その時、必ず気になってしまうのが「いいね」や「リプライ」などの他者からのリアクションだ。

投稿する時は、ただその時浮かんだ感情や考えを残したり、アウトプットしたいという衝動で投稿している。

そんな風にただ発信したくてしてるだけなんだから、それで終われればいい。
なのに、投稿後、頻繁にSNSを開いてしまう。

そりゃあ、「いいね」が付いたりコメントをくれたりしたら、純粋に嬉しい。

だから、何回もSNSを閉じては開いて、閉じては開いてを繰り返す。

すると、そのうち、だんだん恐怖心や競争心のようなものが芽生えてくる。

もっとリアクションが来ればいいのに。
ここでリアクションの数がストップしてしまうのか…!?
見栄が…プライドが…!
言葉すごく考えたり、歌の動画勇気出して載っけたのに、いいねが少ないとショックだし、ちょっと恥ずかしい…!

執着というのかもしれない。

嬉しいことのはずなのに。
気付けば身にならない欲になる。

こうなってくると、いよいよ疲れてくる。

リアクションが来ていないか気になって
意識がずっとスマホにある感じ。

気分にゆとりがなくて、なんかやだなあ。


いいねの数や、フォロワーの数。
そういうものが、人を評価する指標になっているような気がする。

数字というのは、その度合いを一目瞭然に表すことができるので、SNSでは
数が大きければ、認められてる度が高く
数が小さければ、認められてる度が低い
と端的に判断されやすいのではないか。

少なくとも、私がリアクションを気にして疲れ始めるのは、そのせいなんだと思う。
数の大きさを指標に、自分が自分をジャッジしているのだと思う。

リアクションの数=自分の価値、意義
になってしまっている気がする。

今一度、SNSでのリアクションの意味を考え直したい。

他者に認められてるかどうかを判断する指標ではなく、共感の大きさ

そう思い直したい。

共感があまり得られなくたって、それはそれでいい。
自分独自の感覚ということなんだと思える。

まず大前提に、自分が自分のこと認めていたら、他者から認められる必要なんてないはず。

SNSをしていると、色んな感情が沸くけど、
気持ちのいい捉え方をしていきたいなあ。

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