![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118086646/rectangle_large_type_2_d0fdcca447189639c828dd6c31685903.png?width=800)
SNSでの「いいね」が気になってしまう。
私はX(旧Twitter)やInstagramなどのSNSをしている。
そこでは、日々の何でもないことや、たまに歌の動画を投稿したりする。
その時、必ず気になってしまうのが「いいね」や「リプライ」などの他者からのリアクションだ。
投稿する時は、ただその時浮かんだ感情や考えを残したり、アウトプットしたいという衝動で投稿している。
そんな風にただ発信したくてしてるだけなんだから、それで終われればいい。
なのに、投稿後、頻繁にSNSを開いてしまう。
そりゃあ、「いいね」が付いたりコメントをくれたりしたら、純粋に嬉しい。
だから、何回もSNSを閉じては開いて、閉じては開いてを繰り返す。
すると、そのうち、だんだん恐怖心や競争心のようなものが芽生えてくる。
もっとリアクションが来ればいいのに。
ここでリアクションの数がストップしてしまうのか…!?
見栄が…プライドが…!
言葉すごく考えたり、歌の動画勇気出して載っけたのに、いいねが少ないとショックだし、ちょっと恥ずかしい…!
執着というのかもしれない。
嬉しいことのはずなのに。
気付けば身にならない欲になる。
こうなってくると、いよいよ疲れてくる。
リアクションが来ていないか気になって
意識がずっとスマホにある感じ。
気分にゆとりがなくて、なんかやだなあ。
いいねの数や、フォロワーの数。
そういうものが、人を評価する指標になっているような気がする。
数字というのは、その度合いを一目瞭然に表すことができるので、SNSでは
数が大きければ、認められてる度が高く
数が小さければ、認められてる度が低い
と端的に判断されやすいのではないか。
少なくとも、私がリアクションを気にして疲れ始めるのは、そのせいなんだと思う。
数の大きさを指標に、自分が自分をジャッジしているのだと思う。
リアクションの数=自分の価値、意義
になってしまっている気がする。
今一度、SNSでのリアクションの意味を考え直したい。
他者に認められてるかどうかを判断する指標ではなく、共感の大きさ。
そう思い直したい。
共感があまり得られなくたって、それはそれでいい。
自分独自の感覚ということなんだと思える。
まず大前提に、自分が自分のこと認めていたら、他者から認められる必要なんてないはず。
SNSをしていると、色んな感情が沸くけど、
気持ちのいい捉え方をしていきたいなあ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?