すきな街・東京
2002年3月25日から東京都民になりました。
2024年8月19日
私は東京駅から住まいへ帰る途中の新宿駅で、電車の行き交う
「ガタンゴトン」という音を聞いて安堵している。
いつからか「東京に帰って来る」ことが当たり前になってしまった。
そう感じるようになったのはいつからなのかは厳密には分からないけれど
「My Town 東京」になったのだ。
東村山
初めて住んだ街は、「東村山」だった。
物件やさんの人に紹介され、黄色い電車「西武新宿線」に乗って視察に行った時、
「東京の電車もこんなに空いているんだ」と驚いた記憶しかない。
当時はインターネットで、事前に学校までのアクセスを考えて街を調べる事が困難だったし、結果住めども都にもならなかった街。
雑誌と知人の伝手で何とか契約したアパートは東村山駅、徒歩5分、1K 4万7千円だった。
とても住みやすいとは言えない街で、思った東京都は違った。
アルバイトする場所もない、学校までは遠い、夕飯は駅前のオリジン弁当をよく利用した。
若さだけで通勤40分や1時間を何とかやってのけたが、住んでいる間すきだなんて1度も思った事がなく、思い出がない街だ。
この先降り立つ事もない街であろう。
田無
5年後、弟と一緒に住む事になり、同じ沿線の田無に引っ越した。
遅れた進学の為に上京した弟と同居することになり、胸を弾ませて田無へ引っ越した。
西陽が強い2LDKのマンション。
ここに住んでいた時代はまさに「青春」だった。
駅で久しぶりに再会した親友
そこから始まった「田無会」なる謎の会
田無に住む弟の友人、私の友人も交えた我が家での数々のメシ会を行う事になったのだ。
我が家の深めのホットプレートは変幻自在で
皆の柔軟な発想が大爆発した。
定番の鍋から始まり、粉もんのお好み焼き、しまいには天ぷらまで作るという、何でもありのメシ回だった。
鍋、お好み焼きはよくあるメニューだが、
「家ごはん会で揚げたての天ぷらを作ったんだよね。」と語ると、皆にギョッとした目で見られた事を覚えている。
時には私が大量にカレーを作ったり、他にも大量に作ったり
友人たちも実家から送られてきた食材をおっそ訳してくれたりして
その度に友人2〜3人が集まる夕飯会を行った。
良い意味で「ここは東京なのか?」と錯覚してしまうくらい、田舎の感覚を忘れずに暮らすことが出来た。
少し栄えた北口
明日の素晴らしい田無の略称で「アスタ」のショッピングビル。
親友の家まで通った青梅街道
立ち読みをたくさんしたブックオフ
駅前の美味しいカレー屋さん「Raji」
そして大好きな親友が亡くなった街
訃報を知った夜は自転車で彼女の家まで泣きながら走ったけれど、既に部屋は解約され灯りはなかった。
それでも、この街で過ごした時間はとても愛しい時間で
恋も仕事もあれもこれも欲張りに過ごしたなぁ。なんて若さを思い出してしまう。
いつかきっと思い出しても「青春時代だったね」と言えるすみよい街並と記憶が宿る街だ。
荻窪
何となくで決めた街。
ここではいい思い出がなかったというのが実の所。
人生で初めて家さがしをしたのだ。
何をどう探して良いのか分からない、アドバイスめいたものを言うなら
・物件は数件は見て回ること
・周辺を歩いてみること
・駅までの道のりが好きになれること
これだけだ。
とにもかくにも田無の家を一刻も早く出なくてはいけなくなり、中央線沿線である事と家賃だけで決めた家
酒とタバコに溺れ、日に日に人間らしさを失っていった街。
物件の住人の悪さと周りの環境が本当に良くなくて、不運に見舞われる事と
磁場が合わないなと実感した街。
(私の場合ですが)
いい思い出なんて無かったから全て忘れてしまいたい。
だから、記憶も朧げで何を書いたらいいのやらと思い、今PCに向かっている。
今の住まい
大好きな街に出会ってしまった。
住まいは古め。
でも
好きな公園が近くにある。
ラーメン屋さんもある。
パン屋さんもある。
図書館もある。
友人も近所に住んでいる。
近所を散歩するにもちょうどいいし、治安がいい。
ふらっと時折飲みに出れば、何気ない話ができる空間があって
自然と笑顔になれる空気があったり
人と人が繋がる事をとても大切だなと実感させてくれる街
仕事で行き詰まって外にフラっと出て気分転換するも良し。
隣の駅まで歩いて、美味しいものを食べても良し。
人よし、食べ物良し、歩く度に好きだなぁと思わせてくれる素敵な街だなと何度でも思ってしまう。
街に恋してしまったので、もう今の街に骨を埋めても良いと思っている。
みんなの街はどんな顔してるのかな?
みんなが思う東京はどこ?
私が出会った東京の街は”イロトリドリ”と言う表現がしっくりくる街ばかり。
何かのタイミングで私のコラムを読んで、あなたの好きな「東京」
に出会えたらいいな。そう思うのでした。