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お金って。から、感じたこと。

自分とお金のことがふと気になり、思いつくまま感じるままつらつらと書き出した、この「お金って」という疑問に、今はまだ「これだ」という結論は出ない。ただ、過去の自分が考えていたような「幸せ=お金」はもう違うみたいだ、とは思っている。

過去の私の仕事におけるお金に対する考え方は、「いかに多くを得るか」が根底にあった。高い金額こそ自分の価値、逆に安い仕事は自分の価値を低くする、みたいな。この考え方が自分のモチベーションになっていたこともあった。

もうここから離れるところに来ているのだろうな。

お金が全ての評価じゃない。
お金が幸せの象徴じゃない。

持っている人が凄くて、持ってない人が凄くない訳でもない。

一元的な考え方の、歪みがきている。

おそらくきっと、多元的な考え方をする方向に来ている、お金のことに限らず。

過去にお金は等価交換、同じ価値のものを交換する手段であった。

働いたらその対価として得られるものだった。

たくさん持っていることが豊かの象徴のようでもあった。

多く持つことが力だった。

実際にそれで社会を動かすこともできた。

だからそれを多く得ようとする人が現れた。

そのためには争いや奪い合いもあった。

そして勝った方が、力を増幅させた。

持てる者・持てない者の格差が生まれた。

貧富の差ができた。

そしてその差に、おかしいと、異を唱える。

力ある者だけが蓄え、力無き者がさらに苦しむ。
そんな世はおかしいと。そのままでいい訳がないと。
食料を廃棄する一方で餓死する人がいる。
それが同時に存在しているようなことに。

自分が自分のことを考えるのは当たり前、でも同時に存在する誰かに何かにも意識を向ける、目を向ける、多元的な考え方をする。

お金に対して引っかかった私の疑問は、私個人の疑問に留まらない。

一元的な考え方の限界と、多元的なあり方と、これからのこと。

このことについて、もうちょっと考えてみたい。

感じていこう。

見ていこう。

続けていこう。

多元的なあり方と、これからのことを。

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