「表現の自由」
個人の感想として、自分が感じたことは何でも発言していい。
有名無名影響力に関わらず。
対象、相手があったとしても。
だってそれが発言の自由、表現の自由ってことだから。
確かにこれに関して、間違ったこと言ってるとは思わない。
でも感じるこの違和感は何なんだろう?
生きていれば大なり小なり、人と対立する場面はある。互いの思い違いや行き違い、不快な思いをし合うこともあるだろう。人との、衝突。
でももしも自分の衝突を、私の知らない所で、私を名指しで、相手が一方的に吹聴していたとしたら。
単純に私はすごく嫌だなと思う。きっと悲しいとも思う。怒りも感じるかもしれない。
一方向だけの意見は、確実に偏っている訳だから。
過去には私も、人と衝突した時「自分が被害者」もしくは「自分が加害者」と決めつけ、一方向の偏ったジャッジしかできなかった。
だけど、今ならわかる。
「衝突はお互いの問題」だということが。
単純に、どちらか一方が良くて一方が悪いということは世の中にはないのではないのかな。何かしらの問題、衝突が起こる時には、互いの中の何かが反応し合って「起きてしまう」もの。
そして、表面で起こってることは、実は
ただのきっかけに過ぎないとも思っている。本当に大事なのは
「その時自分は何をどう感じたのか」
「どんな感情が湧き起こったのか」
「結果何に気づかされたのか」
表面には出てこない、自分の内面にあるもの。それを知るために起きている出来事なのだということ。
そこから自分を知っていくしかない。
自分の本質を知ることで、生きやすい自分になれるように。
私は衝突からそう学んできたから。
単純に人とぶつかって不快な思いをしたアピール、それを世間に晒したいアピール、「言ってやりたい」気持ちが人にはある。私も昔はやっていた。
でも今はそのアピールは残念としか言いようがない。
被害者アピールしてる人は結局、自分の内面に向き合ってないだけだと思っているから。
主張が間違ってないからといって、正解という訳ではない。
そもそも、物事を「正解不正解」で解釈、解決しようということがもう違う。
いろいろごちゃごちゃ書いてきたけど、結局の判断基準は、単純に自分にとって
「それが気持ちいいかどうか」。
そこでしかないんだよな。
嫌なことはしたくない。
嫌なことはされたくない。
人間として気持ちよくいきたい。
そこでしかないのに。
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