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舵を取る

いわゆる「好青年」タイプが好きだ。
某コーヒーチェーンの男性店員さんの物腰にはうっとりする。「まプライベートはこんな感じじゃないだろうな」なんて思いつつも、あの丁寧な感じ、大声ではない柔らかい口調、優しい雰囲気、いいんだよな。

そう、過去に「いいな」と思った男性のタイプを振り返ってみると、柔らかい口調の人が多い。声の圧が強くない、ともすれば聞き取りづらいくらいの。声を荒げることなく淡々と話す感じ。強くなさそうというか、威圧感のない感じというか。大声でハキハキ話すタイプではなく、なよっとしてるくらいの感じが好ましい。

でもこれ自分なりに原因はわかっている。
父だ。

小さい頃、父はよく怒鳴っていた。怒鳴るまでいかなくても、怒り口調というのか。もしくは、無視。もちろんそうじゃない場面だってたくさんあったと思う。けれど、怖かった思い出は後々まで強烈に印象に残るのだ。記憶の中の父を思うと、一番に出てくる言葉は「怖い」でしかなかった。

幼少期、両親は本当によく喧嘩をしていた。
眠っていて喧嘩の声で目を覚ます。多少手が出たこともあったのだろう。怒鳴り声。泣き声。だから眠る前に「今日は喧嘩しませんように」と思いながら眠りについた。夜に機嫌の良さそうな様子の父を見ると、心底ほっとした。
私にとって夜は、闇の怖さとはまた違った怖さを伴うもの。子供の頃の寝床は、私にとって安心の場ではなかったなと、今思う。

何であんなに喧嘩ばっかりしてたんだろう。
おそらくまだ30代の前半くらい。まだまだ若い夫婦にどんな葛藤があったんだろうかと思う。両親は両親で大変だったのだろうとも、思う。
でも子供の私はそんなことに思いを馳せられるはずもなく。ただただ恐怖の毎日を、必死に生きることしかできなかった。

でもそうやって生き続けてきたことって、実は一番すごいことじゃないかと思う。

よく頑張ったな。

あんなに恐怖だった父も、歳を重ねて丸くなった。丸くなったというか、もともと繊細な人だったんだろうと、今なら、思う。繊細さ故の、お酒の力を借りることでの暴言や暴力。機嫌の悪さ。

最初は母に対しての同情しかなかったけれど、成長するに連れ母に対しても疑問が湧いてくる。悪口が多い、自己憐憫が強い。愚痴も多くてうんざりする。

何なんだ、あんた達は。

正直、両親を率直に好きとは思えない時期も長かった。親だから嫌いとは言えないけどとという、消極的な思いしかなかった。死んだ時に悲しいとは思えないんじゃないかと、感じていた時代もあった。

私も、私なりに、葛藤してきた。

今となっては、一方的にどちらかが悪かったとは思えない。
でもそこはもう両親の関係性の問題。

私はもう、そこから離れたのだ。

ずっと両親に対して、複雑な思いで生きてはきたけど、今ならこう思える。
その時々、私も含め皆、必死だったということが。

その場その場で、自分なりにできることを、必死にやり合っていた。もちろん状況を良くしようとするために。

火に油のようでもあった。噛み合ってなかったかもしれない。
でもその噛み合わなさ故に起きたこと。不幸なことも、嫌なことも、悲しいことも、怖いことも。

全て、起こるべくして、起こっていた。

そこで何を感じて、考えて。
それで自分はどう思うのか、どうしたいのか。

全ての経験は、自分を知るための糧でしかなかった。
かなりヘビーな糧だったけど。

そこにあったのは、お互いの必死だけ。

良くしたいという、思い。

それが、つまりは「愛」ということだったのではないか。

衝突も、怒りも、悲しみも、恐怖も、愛。

こんな風に思えるまでは、なかなか、いや、かなりの、時間がかかったけれど。

どんな状況の中でも、表面で起こっていることだけに気を取られているうちは、本質に辿り着くことは難しい。

感情に惑わされることなく、自分の内側に起こっていることを見定めていくということ。

俯瞰して状況を見るということは、容易ではない。

でも挑戦するだけの価値はある。

だってそれが自分の人生の舵を、自分で取るということだから。

起きてしまった出来事を、誰かや何かのせいにしているうちは本質に届かない。

誰かや何かに自分の人生の舵を取らせるな。

自分の人生の舵は自分で取る。

その覚悟を決めてようやく、人生という旅を、始めることができるのだから。

そこに止まらないと決める。

起こったことをなかったことにするということではなく、俯瞰していくということ。

自分の心の動きは決して蔑ろにしないこと。

批判せず、感じて、味わって。

自分の心をどんどん知る。

自分ともっともっと繋がっていく。

誰かや何かを見ているよりもずっと面白い。

それが自分の人生の舵を、自分で取るということだよ。

そしてそれができたら、航海の進路は全部自分で決めることができる。

自分が行きたい方に。

自分が心地いい方に。

自分の思うように。

それが自分の人生の舵を、自分で取るということだから。


自分で創れる、自分が創る、人生の旅へようこそ。

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