自分を、認める。
今、思うと。
小さい頃って、「できること」より「できないこと」を指摘されて生きてきたように思う。
「いいところを伸ばす」そういう発想、昔はなかったのか。
いやきっと、褒められることもあったと思う。でも嫌な記憶の方が、きっと残りやすいんだろうな。
小さい頃の出来事で、苦く思い出す。
祖母からよくだらしない、と言われたような気がする。
掃除片付けが苦手で、妹と比較されたことがあった。
そうこの「だらしない」という言葉、ずっと刺さっている。
だらしない。怠惰。みっともない。ちゃんとしてない。
整理整頓苦手なこと。
遅刻も多かった。
だらしない。
だらしない。
ダメな私。
でもどうしてそんなに、だらしない、ってことになっちゃったのか。
それはきっと「祖母の思うような結果じゃなかったから」。
祖母からして私は、理想的な女の子じゃなかったんだ。
そう、よく「女の子(おなごのこ)のくせに」って、言われてた。
女の子のくせに、だらしない。
そんな格好をして。みっともない。
ちゃんとしないとダメだ。
そんな言葉、いっぱいあったな。
でも今、思う。
女の子のくせに、って、一体何なんだ。
両親は、女だから男だから、ってことは全く言わないタイプだった。
でも祖母の世代にはまだ、男女差というものは歴然と残っていただろう。
老人世代に今でも「女なんか」的ことを言われて嫌な思いをすることもある。
昔はそうだったんだろう。
でも今もう違うから。
私は、だらしなくない。
私は、みっともなくない。
私は、ちゃんとしているよ。
私は私で、人生頑張ってるよ。
だから誰かの物差しで測られて、勝手に言われたあんなこと、こんなこと。
もう私にはちっとも、必要じゃないってことだ。
私は、だらしなくない。
私は、みっともなくない。
私は、ちゃんとしているよ。
私は私で、人生頑張ってるよ。
私が私を、認めなくてどうする。
大事なのは人にどう思われるかじゃなく、自分が自分をどう思うのか。
世間や他人の物差しじゃなく、自分が自分を大事にできているのか。
今一度思い出そう。
私を喜ばせることができるのは、深い意味では、私だけなんだと思うから。
もっと大事にしよう。
自分を大切に扱おう。
そこからしか新しい関係性も生まれないから。
まずは自分を、ちゃんと認めよう。
私を喜ばせることができるのは、深い意味では、私だけなんだ。
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