ADHD
先日、我が子の3歳児半健診だったんだけど、ADHDの疑いあり、と言われました。
自分のお名前や通っている幼稚園などの受け答えも出来るし、
積み木も色合わせも、そういったテストの類いは全部出来る。
けど、めちゃくちゃ落ち着きがなくて。
保健師さんのお話をちゃんと座って聞くのがままならず。
今通っている園(我が子はまだ年少さんより下の未満児さんクラスです)の連絡帳に、
「(お遊戯会や運動会の)練習中に寝転がったり走り回ったりしています。」
などと書かれたりしますが、
日を重ねると「初めは中々出来ませんでしたが、最近はよく頑張っています。」と書いてもらえるようになり、
本番にはちゃんと列にも並べるし上手に演技出来ているので、
我が子はやる気スイッチが入るまでに時間がかかるんだなぁくらいに思ってたんだけど。
で、発達相談の先生に言われたのは、
「集団行動がスムーズに出来ないと、
どうしても怒られる事も多くなりますよね。
そうするとお子さん自身がしんどくなってしまう事が心配なのです。
なので今から出来る適切な対応やお子さんの苦手を補う方法があるのならやってあげてもいいとは思います。」と言われて。
帰宅してから頭に浮かんだのは、
大人になってからアスペルガー症候群と診断された妹の事。
私、
妹に対して本当はちゃんと出来るくせに、ってずっと本心では思ってました。
あー、
私はどうしてあんなに妹を叱ったり諭そうとしてしまったんだろう。
そう思うと久しぶりに泣けてきて。
自分が憎くて憎くて。
母となった今なら分かる。
我が子を産まれた時から見ていると、
他の子には簡単に出来る事でも、この子にとってはとても困難な事があるという事が。
そして今の私には、
世間に無理に合わせなくてもゆっくりでもいいよ、と見守れる愛情がある。
そんな愛情を妹には与えてあげられなかった。
常識がない、と叱った。
世渡り上手に生きた方が得だよと教えた。
皆、しんどい事もあるけど頑張ってるんだよ、と励ました。
世の中の当たり前が妹には難しかったのなら、どんなに生き辛かっただろうと思う。
そんな妹は、
ずっとずっと、愛情を何度も確認するかのように母にべったりだった。
母はそんな妹を、
突っぱねるでもなく受け入れてはいたが、
母から抱きしめたり愛情を言葉で伝えたりする事は無かった。
よく、「変な子ねぇ」と言っていた。
ちょっと話が変わるけど、
少し前に母とテレビを見ていて、
とある芸能人が映っていたので、
「この人ってこの間○○と結婚したよね?」と私が言うと、
母が「いや、△△やろ〜!」と。
埒があかないので検索してみると、私が正しかったんだけど、その時母が、
「今はすぐに調べれるね。
昔のお母さんは、こういう時絶対譲らなかった。間違いに途中で気付いても貫き通してたわ〜。」
と笑いながら言ったので、
え?!と思い、
思わず、
「それって子供の発育に良くないやろ!」と突っ込んだんだけど、
「だって認めるのは悔しいもの。」と言った。
思い返せば幼少期、絶対に私が合っている!と思った事でも、
母が絶対違う!と言い張るので、
(やっぱり自分が間違えてたのかな…)と諦めて来た記憶が蘇り、
その感覚は大人になっても残っていて、
私は記憶力が悪いんだ…
だから間違えてるのはきっと私だ…と自信を無くしていて。
結局その場では笑い話で終わったし、別に恨んでるわけじゃないけど、
あ〜、
母もなんらかの障害があるんだろなぁと思っちゃったんです。
昔はいちいち病名なんて付かなかっただろうしね。
思い返せば妹はそんな母とすごく似てて、
○拘りが強い。
○他人に興味がない。(けど否定されると傷付くし腹を立てる)
○一度嫌いだと思ったら二度と覆さない。
○すごく意地っ張り。
そんな似た者同士の二人なんだけど、
お互いそれに気付いてない(客観視が苦手)から理解も共感もし合えてなくて、
妹はいつもいつも母の愛情を求めているんだけど、
それへの応え方を母自身もきっと分かってなかったんだなぁと思う。
そして、
妹のお葬式でも私の前では涙を見せなかった母。
けどね、
去年亡くなったイトコのお葬式に参列した時、
身内がみんな号泣しててもやはり涙一つこぼさなかった母が、
棺にお花を入れる直前に、
「あぁ思い出したらやっぱりいかん…」
と私にしか聞こえないような声で小さく呟いて席を立ったの。
あ、この人は泣かないんじゃなくて泣けないんだ。
そう思ったんです。
不器用なんです。
似た物同志の母と娘。
性格の違う私からするとあなた達は本当はとても愛情深いのにピリピリと尖っていて、
張り詰め過ぎて壊れやすく、
見ていると切なくなってしまうんだよ。
心からぶつかり合えていたら、
気のすむまで抱きしめていたらまた違ったかな、なんて思ってもしょうがないけど。
お母さん、
私は絶対に子供相手でも自分の間違いは認めるよ。
落ち込んでいそうなら声をかける。
ちゃんと向き合う。
そういう子育てをするつもり。
けどこれは、決して母を責めているわけじゃない。
ただ、母や妹のような人達が、
生き辛さなんか感じず自分を愛して生きていける方法があるならば、
そしてそれを子供の頃から与えられたのならば…とは思う。
思いつつも私は我が子に、何でこんな事も出来ないのとイライラしてしまう事もある。
だけど、
努力する事は素晴らしいという事はもちろん理解した上で、
(みんなが出来て当たり前だから)っていうアホみたいな理由だけで、
出来なくても人生困らない事を無理にやらせなくてもいい。
だって根性論で育ってきたおっさんや、世間体を気にして育ってきたおばさんが、
正しいとは感じないから。
得意な所を伸ばして、
苦手な所は補って。
そんな接し方が出来たらなと今は思います。
妹に、もっと伸び伸びと接してあげれば良かった。
これからは気をつけるからね。
追伸・ADHDやアスペルガー症候群の事を書きましたが、
私自身は最近そういった診断名を付け始めただけで昔からよくある特性であり、
世の中には診断されてないだけでいくらでもいると思っていて(私も診察してないから分からない)
それらに偏見もないですし特別なものだとも思っていません。
ですが特性があるのならば理解し、出来る事があるのならば、というスタンスです。
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