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心臓移植


こんばんは。
久しぶりのnoteです。

まずはこちらの記事をちょろっとでも良いのでご覧下さいませ。




日本での臓器提供は、
(以下、公益社団法人日本臓器移植ネットワークより)
「個人情報保護のため、個人を特定する情報は一切公開していません。
実際に臓器移植を受けた側にも提供した側にも互いの情報は知らされませんので、当事者同士が直接交流することはできませんが、ドナーご家族には、JOTを通じて移植後の経過報告や移植者からのサンクスレターなどをお渡しすることができます。」
だそうですので、
このようなサプライズは法律的にも日本人の性格的にも難しそうですが、
私はこの動画を見てめっちゃ感動しました。

私は妹と違って(妹は大学で英語とロシア語を学んでいました。)英語は分からないので、
動画の会話は理解は出来ませんが、
聴診器を当てて、亡き弟さんの心音を聞くシーンは大号泣でした。


妹が亡くなる前の1週間は、
精神的にも肉体的にもかなりのパニック状態の中にいたので色々とうろ覚えなのですが、
(当時、なぜかこの1週間を忘れてはいけない。という使命感のようなものが生まれ、メモ帳に結構細かく書き残してはいるのですが、気力がなくて読み返せていないのでうろ覚えの記憶でこのnoteを書きますがご了承下さい)


意識の戻る見込みのない中、心肺停止し、
延命治療はしない。という両親の意向に沿ってそのまま息を引き取った妹ですが、
病院側から臓器提供の話もあったような気がします。

生前は、
「死んじゃったら何にも分からなくなるんだから、臓器でもなんでも必要な人にあげたいよね〜」
なんて笑いながら妹と母と話しをした事もありましたが、

あの時、現実を受け止めきれてもいない、いや受け入れようともしていない状況で、
臓器がどうだのという事を考える余裕もなく、
不思議なもので、
家族全員とにかく綺麗な姿のまま連れて帰りたい、という気持ちだけでした。

妹の体に、メスを入れないでやって欲しい。



けれど数年経ってみて、この動画を見て思う事は、

どこかであの心臓が動いていたら…。


アニメーションとかでさ、
ブワァーっと体中からキラキラしたエネルギーみたいなのが吹き出したり、
空まで続く階段を登ってゆくような感動の表現があるけと、

今、妹の心臓の音を聞く事が出来るのなら、
まさにそんな感じで心が震えると思うんだよね。


あ、でも妹の場合心肺停止だったから心臓の移植は出来ないらしい。
心肺停止後に移植出来る臓器は、腎臓、膵臓、眼球だってさ。

それからさ、色々考えちゃうけど、
自殺した人の臓器の提供って、相手の気持ち的にどうなのかな?とか思っちゃうよね。

生きたい!と願う人に、
死にたい!と願っていた人の臓器を提供する事が、なんらかの負の感情を受け継いでしまったりする事になったらどうしよう。


そういう事を考えながら、臓器提供について色々検索してみてたんだけど、
日本の臓器提供は世界的に見ても最低レベルだそう。

その理由の一つとしてあげられるのが、
日本では、脳死からの臓器提供について生前に示された意思を確認できた人から臓器提供を行う「オプティングイン 」の考え方を採用している事。
臓器提供数が多い国では、生前に“提供しない”という意思が示されていないかぎり臓器提供を行う「オプティングアウト 」を採用している国が多いんだと。
そうした基本的な考えの違いに加えて、
そもそも日本は運転免許証などの記入欄に臓器移植の意思表示している人さえ少ない。
日本では表示がない=提供しないって事になっちゃうもんね。

それからたまにニュースで目にする、海外への渡航臓器移植というのにも問題点があって、
大金を支払う日本人を優先的に受け入れる事により海外の移植を待つ患者達が後回しになる、
また、渡航移植が増えた事により移植費用も高騰してしまっているそう。

日本は、ドナーは圧倒的に少ないけれど移植まで持ち込めば成功率は高いので医療の技術力がある事は分かっています。

だから、本来ならば、
日本で臓器移植を必要とする人達が、日本で臓器提供を受けられる社会であるべきなんだけど…。


話がまたまた逸れたけど、

自死ってやっぱりどうしても暗い影が付き纏ってしまうものだけど、
その人の一生の全てが薄暗いものだったって訳じゃないよね。

私の妹は、
最期は唐突で悲しい別れ方だったけど、
逞しく輝かしく美しく生きている時もいっぱいあったんだよね。

だから、妹がもしも誰かのドナーになっていたとしても、自死した寂しい子の臓器、だとは思わないで欲しいな。


そんな事を考えていたんだけど、
どうも世界各国ドナーの亡くなり方に特に制限はないようなので、

自死した方々の臓器は今もこの世界のどこかでしっかりと機能しているんだなって思うと、
少し不思議な感覚になりました。

(臓器提供を受けてでも)生きたい!と、
願う人の体の一部となって、新しい人生を歩む臓器達は、どんな気持ちかな?

誇らしいかな、面倒くさいかな、淋しいかな、嬉しいかな?


私には、どの臓器達も、今この時を楽しんでいるように感じます。


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