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与那国町議会議員 大宜見浩利先生に話を聞きます

浜田聡:
今、与那国島に来ておりまして、今回は与那国町議会議員副議長をされておられます大宜見浩利先生にお話を聞かせていただきます。
本当にお忙しいところありがとうございます、よろしくお願いします。
過去の経歴を少しお聞きしたいんですけれど、今、町議会議員は何期目ですか?

大宜見浩利:
6期目です。

浜田聡:
町議会議員でもいらっしゃいますし、あと、漁協関係もされていますか?

大宜見浩利:
漁協関係では漁師として水上げをしています。
組合の皆さんから理事を申し付けられ、理事の立場ではあります。
理事でも筆頭理事を預かる身になっています。

浜田聡:
今回初めて与那国島の方に来させていただきました。
私が特に関心を持っているのが、やはり台湾有事です。
台湾に一番近い日本の島である与那国島。
台湾との交流というのが、かつてはありました。
台湾との交流は戦後間もなくして途絶えてしまって、その後、与那国島の発展が足踏みしてしまったというところがあるんですけど、最近それを再開しようという動きがあります。
やはり漁協の方でもありますので、漁をされている上での問題点と、最近台湾との国境の間で色々とあるとも聞いていますし、中国がミサイルを落としたというのもありますので、そのあたりのお話を聞かせてもらえればと思います。

台湾有事に関しては、私にこちらに来る前に西牟田靖さんという方の本を読ませていただきました。
「誰も国境を知らない」という本です。

西牟田さんは日本の国境を巡るような島に行かれて、北方領土であったり竹島にも足を踏み入れられて、南鳥島とか硫黄島とかマニアックなところも行かれておりまして、そこでも与那国島の話も書かれており、あらかじめ読ませていただきました。
島の歴史の中で、2016年に自衛隊が来たんです。
誘致の時に、賛成派も反対派で島が分断されたみたいなお話は聞きました。
大宜見さんは賛成派ということでした。
今は時間も経ってかなり落ち着いた感じのようです。
いろいろとお聞きしたいんですけど、台湾有事に関しては島の皆さんはどうですか?

大宜見浩利:
台湾有事については新聞報道等やテレビでもよく放送が流れています。
島の皆さんが心配してるのは、中国が台湾に攻撃する時に、我々の島にミサイルとかが落ちないか、という心配があります。
ただ、国の方がどのように考えているかというので、去年いろいろと話をしてきたわけですけども、なかなかいい返事というのがありません。
内閣府では令和5年に2回ほど説明がありました。
1回目の説明を終えて、2回目には説明をしながら避難訓練、つまり「攻撃があった時に避難場所を設定しておいて、そこに避難をする」という形なんですが、一部の皆さんだけの訓練でした。
だから、内閣府の皆さんに「どうしてこんな形になったのか」「島全体を網羅して避難をさせる」「避難訓練をさせる」そういったものでやってもらいたいとお願いをずっとやっていたんですけど、令和6年に入ってから「もう1回やらないといけない」という話を聞いています。

浜田聡:
避難訓練というのが1,2年前に行われたんですけれど、先ほど紹介した本によると30人ぐらいが参加されたということですが、島の人口が1,667名なので、かなり限られた数の方しか参加されなかったというところもあります。
やっぱり台湾有事が起こった時にまず問題となるのが、時間的なところです。

大宜見浩利:
ミサイルが飛んできたとしたら、中国から約10分以内で到達する可能性があると聞いています。
どのぐらい早いのかどうかは見ていないからわからないですけど。
島民の皆さんとざっくばらんに話をする時が多いんですけども、台湾有事の時をどう考えてるかと、島民の皆さんと話をする時に、ある場所に避難しないといけない、というのが考えられて、どこかに移動するまではすでに教えられて、島の集落内にシェルター方式の地下壕みたいのを作ったらどうか、とか、いろんな話があります。
それでやればこう考えるだろうということで、近いところの集落が東とか西とかにありますので、大きい集落には3つぐらいの地下施設を作る、比川の集落の場合は比川で1ヶ所作る、久部良では北と南側に2ヶ所作ったらどうかという話を島民の皆さんとはやっています。

私自身が議会議員でもある関係上、内閣府の官房長官に直接会ってシェルターの要請をしています。
その後に防衛省に行って、防衛大臣にも会ってシェルターの要請を行ってきました。
それで関心を寄せられて「作らないといけないかな」という当時の官房長官は話されていました。
自衛隊の皆さんは国民を守る任務がありますので、避難することはないと思うんだけど、島民を守るためにはどうしても施設があったほうがいいんじゃないかと考えています。
いろんな形で防衛省も協力できる部分は協力していきたい、ということを大臣にも話している現状です。

浜田聡:
シェルターに関しては国会議員の方々も関心をお持ちの方が多くて、シェルター議連という議員連盟というのもあります。
台湾有事の際に一番近いのが与那国島です。

大宜見浩利:
目と鼻の先というか、110キロしかありません。
晴れた時には台湾が見えるぐらい、国境に近い町です。

浜田聡:
シェルター以外にもいろいろあると思うんですけれど、一つは台湾から避難されてくる方についてです。

大宜見浩利:
台湾の花蓮市に出張で行った時、「中国が台湾に攻めてきた時にどうするんですか?」と聞いたら、「命を守りたいから島から出て、どこか近い所、例えば与那国島等に行く」って言われました。
「まずは避難が先だ」ということです。
花蓮市の場合には軍の飛行場があるので、中国からの攻撃の対象になるんじゃないかというのも心配はされていました。
与那国島に避難してきた時に、久部良と祖納港があります。
我々は与那国島の人の避難を心配しないといけないんですが、台湾の方たちが来た時に、どういう形で受け入れをして、どういうふうに避難させるか、というのも考えないといけない、という話をしました。

浜田聡:
台湾の方ではそういう想定もされているということです。
与那国島と台湾が距離110キロで、与那国島と石垣島が120キロぐらいです。

大宜見浩利:
もし来られた場合に、受け入れの限度があるんじゃないかなと思います。
いきなり1,000名とか2,000名とか入ってきた時に、どうするのかと。
避難させるためには公共施術しかないと思うんだけど、中学校の体育館とか役場の施設で空いてる場所とか、公共施設を利用して泊めるとか、そういうのが考えられるんだけど、今からやっておかないと始まってからでは遅いと思っています。
だから日頃から「台湾有事が起きた時には受け入れ者はどうするか」という事をきちんとやっとくほうが良いと思ってます。

浜田聡:
空港についてなんですけれど、かつては滑走路の距離が1,500mだったんですけれど、それが最近2,000mに伸びたということです。
滑走路が長ければ長いほど、欠航が減るという理解です。

大宜見浩利:
与那国島の滑走路を計画的にやったのが1,500mでしたが、これを2,000mに延長できないかということで、当時の総理大臣に直接お願いしに行ったんです。
せっかく空港の滑走路を作るんだから2,000mにやっておくといろんな形で利用価値があるじゃないのという形で要望して、滑走路が2,000mに決定しました。
議会の中でも話が出ているんですけど、空港の問題としては、北風を受ける、北東の風も受ける、欠航率も高いので、幅を広げて長さも500m延長すれば楽に飛行機の離着陸ができるじゃないかなということで、話は出ている現状です。
首長・町長さんが国の方にずっと要請をしてお願いしています。
台湾有事の時には、港湾と空港はいろいろと整備しないといけないという現状です。

浜田聡:
もし台湾有事の時に台湾の人が避難されてくるという話なんですけれど、歴史上、戦後間もなく台湾と与那国島を直接攻撃をしていた時代がありました。
その頃は台湾がすごく栄えていたというのもあるんですけれど、台湾に一番近い与那国島ということで、その時は今より栄えていて、人口はどれくらいだったのでしょうか?

大宜見浩利:
2万人近くじゃないでしょうか。
祖納も船は入るんですけど、久部良の方が西側にあるので近いので、ほとんどが台湾からの貿易船は久部良港に入って貿易をやっていました。
桟橋にお米が落ちても普通だったら拾いますが、落ちても拾わないというくらい、久部良の方は裕福で台湾からのオーナーでいっぱいでした。
当時、旅館とか料亭が4ヶ所くらい久部良の集落にあったという話は聞いていました。

浜田聡:
台湾に一番近く、しかもすごく大きな大規模な都市がたくさんあります。
台湾と直接交易ができるというのは場所的にすごいメリットがあるんですけど、現状はそれはできておりません。

大宜見浩利:
これからなんですけど、与那国の計画ビジョンの中で花蓮市と与那国との直行航路、一緒に船便を走らせる計画を2006年くらいから立てています。
今年3月の頭くらい、早ければ2月の中旬あたり、これは天候次第とチャーター船の手配の準備等がありズレる可能性もありますが、与那国と台湾との船をやろうということで第一便が計画されています。
この時には台湾から50名の方が来て、与那国と交流をして、与那国から50名と台湾から来た50名を乗せて、計100名で台湾まで行きます。

浜田聡:
去年、台湾の国会の議長である游錫コン議長が与那国まで来られて、日本の台湾との友好議員連盟・日華議員懇談会の団長である古屋圭司さんが游錫コンさんと与那国で会って、その後に合流して台湾に船でまた移動されたというイベントがありました。
船で来られたというのも一つのイベントとして重要かなと思います。

大宜見浩利:
その時に議長さんとお話ししながらやったんですけど、与那国としては花蓮市に船を出そうというのはいいんですが、距離的に少し遠いです。
一番近いところは宜蘭県なので、どっちがいいのかはこれから検討の余地があるじゃないかと議員の皆さんも話をされていましたけれど、まずは与那国町が考えている、花蓮と与那国を走らせてからやろうというのがあります。

浜田聡:
まず何かどこか実際にできれば突破口になるとは思います。
その時には、CIQ、税関関係、それが現状は与那国にはありませんので、それは政府に働きかけるといいますか、政府が作らないというところになります。
与那国では町の発展計画みたいなもので、台湾との直接の交路を築こうという動きがあるということです。

大宜見浩利:
ただ、台湾から何を仕入れるとか、こっちから何を持っていくか、いろんな話もやっている最中なんですけど、最初の目的は人の交流です。
まずは人の交流を先にして、その後に物流の輸入・輸出という形を取るのがいいんじゃないか、ということで話をしています。

浜田聡:
そういう交流が繰り返しできて、ある程度継続的なものができれば、台湾有事の際の受け入れ体制みたいなのも少しずつ整っていくとは思います。
時間との戦いにもなるとは思います。

大宜見浩利:
中国の習近平さんが「自分の任期中は必ず台湾は中国に統一させる」と、挨拶の中で喋っていたのはテレビで見たんですけど、確実になるんじゃないか、台湾有事が起きるんじゃないか、というのが私たちの心配なので、台湾有事はあるものだと思って行動しないといけないと思っています。

浜田聡:
ないのが一番ですけど、あると思って対策を練るのが責任ある立場かなと私も考えています。
最後に漁業についてお願いします。

大宜見浩利:
漁業については私も他のテレビ局も一緒に取材を受けているんですけど、去年、中国が台湾に向けてミサイルを発射しましたが、着点地点がずれて与那国の南側に5発落ちました。
その時に漁に出ていたのが二隻あって、「音は聞こえたか」と確認したら「はっきりは分からないけど音は聞こえなかった」ということでした。
この事態があった時も、私たちは分かりませんでした。
私もちょうど島の西側の漁に出ていましたが、我々の上空を飛んで南側へ目的地を外れて日本のEEZ内に落ちました。
漁から帰ってきて夕方の6時過ぎくらいにこの件について聞かれて、政府が発表したのが8時ぐらいで、その後、テレビ報道がされました。
それから招集をして「翌日の出航についてどうしよう」ということで、「またミサイルが飛んできて危険な状態になったら困るから」ということで、翌日の漁は自粛する事にしました。
要するに国からの指示ではないんだけど、我々自身で命を守るために「明日は漁に出ないように」と一斉に通達したんです。
ただ、既に漁に出ていたり、泊まり込みで漁に出ていた人もいたので、翌朝5時前に、自分の船から出漁してる皆さんに「中国からミサイルが飛んできたら命の危機があるので、島に一旦戻るなどの自粛をお願いします」と、出漁している船舶には無線で放送した経緯があります。

浜田聡:
あわやという事態になりかないようなことが、事後報告ということだったんですよね。
これもとんでもないことです。
中国は何をするか分からない非常に危険な国でありますし、危険な国と一番に対面していると言える与那国島、特に漁業の方が心配です。
この件の後は、何か変化はありましたか?

大宜見浩利:
翌日の2日後だったと思うんですけど、私も漁に出てて、台湾と与那国のところに向かいました。
そこに中国の軍艦が南側から北の方向に向かって行く姿があって、その後で海上自衛隊の艦艇が後ろから与那国の東側の方から西の方向に向かって近づいて前を封鎖したんです。
その後、台湾寄りに外れていったんだけど方向を変えたので、海上自衛隊の船はまた与那国の方向に向かったのを見ています。
後でこちらの駐屯地、沿岸監視部隊の隊員の皆さんに「中国の軍艦らしきものも見たんだけど、後ろから来たのは皆さんの海上自衛隊の艦艇だったじゃないですか?」と聞いたら「船の名前まで言えない」と言うので、来ていたのは事実みたいです。
ただ、「そういう話は自分ではできない」というので、こっちで話は一旦止めておいてあります。
その後に自分のカメラで与那国の間を通過している写真を撮っていたので、テレビ局の方には送ったことがあります。
海の上で、どこから飛んでくるかも分からないもののために空をずっと見ているわけにはいきません。
そのため、どこから飛んでくるかも分からない状況ですが、これが一番心配なんだけど、なんだかの形で収まってほしいと胸の中では考えています。

浜田聡:
今回伺ったお話に関しては、国会の方で是非取り上げていきたいと思います。
特に台湾との交流は、私も航路を作ってほしいと願っています。
最後に何か一言、国会でこういう要望をしてほしいというのがあればお願いします。

大宜見浩利:
沖縄の国会議員の先生もいます。
国会にお願いしたいのは、いろいろ話をしながらやっている現状なんだけど、やっぱり台湾有事の際に避難する場所を早めに、シェルターだったらシェルターをきちんと早く作ってもらうというのが大切と思っています。
早く手掛けてやっていかないと、勃発してから作るのは難しいはずだから、早めにやっていただきたいと国会の議員の皆さんにお願いしたいです。

浜田聡:
私もシェルター議連に入っている議員さん何人か知っていますので、連携を進めていきます。
というわけで、本日、大宜見浩利先生にお話を聞かせていただきました。

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