少年と彼女

街から外れた森の奥深く、高い崖の上に彼女は海を眺めながらただ座っていた。
特に何かを思うわけでもなく、何かをする訳でもなく、ただボーッとしていた。

この所彼女は生き詰まっていた。自分に課せられる学生という職業。それに合わせてついてくる責任やら当たり前やらに精神が疲弊してしまった。
だから心を休ませる、と同時にこの場所を選んだのは他の理由があった。
それは…。

「あれ?珍しいね、こんな山奥にお客さんなんて、なにしてるの?」

突然草むらの中から少年が出てきて、彼女は驚きを隠せなかった。
彼女は怪しみの目を持ちながらも少年の問いに答えた。

「…別にただ海見てただけ」

「ふーん…ね、オレも隣座っていい?」

そう言いながら彼女から了承が出る前に少年は地面に腰掛けた。

よくもまあ馴れ馴れしく踏み込んでくるんだな、と内心少々面倒臭がりながらも彼に対して拒否をしなかったのは今までの経緯からの諦めとかそんな感じなのかもしれない。

目線を彼から逸らし再び海に視線を戻し、そよそよと緩く暖かな風に身を任せた。

「…お姉さん、何かあった?」

「…っえ?」

しばし沈黙が流れたと思えば彼は突拍子も無しに問いかけてきた。まるで彼女の心が読めるような、見透かされたような気分に、彼女の鼓動はドクン、と跳ねた。

「…別に何かあったわけじゃない、ただボクがボクである事に少し疲れちゃっただけ」

それだけだ、と自分自身に言い聞かせるように繰り返した。

「…そっか、邪魔してごめんね、オレ家で母さんが待ってるからそろそろ行くよ」

彼は立ち上がり、申し訳なさそうな、悲しそうな表情をしながら言った。

「…そう」

…さよなら、と彼女が言った言葉は彼に届いただろうか、言い終わる前に彼は山の影に消えていった。

彼女は彼がこの場から完全に居なくなったと認識し、スッと立ち上がり、崖のギリギリ、あと1歩踏み出してしまったら自分の人生も終わるだろうと、自分の事なのに他人事のように思った。

「…っ…」

気づけば彼女はカタカタと全身が震え出していた、心臓はドッドッとうるさいくらいに強くなり、冷や汗が垂れ、いつの間にか無意識のうちに少し後ずさっていた。

どうやら他人事では居られなくなってしまったみたいだ。ここまで恐怖に包まれてしまえば、あと少しを踏み出すことは出来ない。

「…っふ…どうして…っ…!」

自分自身に対する怒りからか、それとも悔しさか、色々な感情が混ざり、瞳からは涙が溢れ出した。
自分は居なくなれない、居なくなれるほどの勇気を持ち合わせていない、そう理解した彼女はペタンとその場に力なく座り込んだ。

「あ、やっぱり、戻ってきてよかった」

「…なんで、いるの…」

そこには先程別れたはずの少年が立っていた。体にはまだ新しい草がついていたのを彼女は涙でぼやける視界でも見逃さなかった。

「此処に人が居るなんて珍しいからさ、お姉さんの事心配になって戻ってきちゃった」

えへへ、と照れ笑いをしながら歩み寄ってくるまだ幼い少年に、彼女はどこか安心してしまっていた。

まだ彼女の瞳から止まぬ涙は先程の感情から流れていたものとは少し違っていた。自分という存在を気にかけてくれていたこと、彼にとっては杞憂だったとしても彼女の心は安心と嬉しさで満ち溢れていた。まさか自分がこんなに幼い少年に泣かされるとは到底思ってはいなかったが。

「…ってお姉さん泣いてる!?ど、どうしたの!?どこか痛い!?」

彼女がへたり込みながら涙を流している事に気づいた彼はオロオロと慌て始め、恐る恐る頭に手を伸ばし、妹を慰めるようにポンポンと頭を撫で始めた。

「大丈夫、大丈夫だよ、オレがいるよ」

少年の手はまだ幼く、しかし肉付きの良さから男と認識せざるを得なくて、彼女はまた彼の優しさにポロポロと止まっていた涙が流れはじめてしまった。

彼と出会ったのはまだ数分にも満たないものなのに何故こんなにも心が安心してしまうのだろうか。今まで散々信じて、裏切られて、何度も繰り返してきたというのに、彼女は彼にまた期待してしまっている。

信じてはダメだと、あれだけ裏切られたんだからきっと信じても仕方がないと、頭では理解しているのに、今は撫でられるこの暖かな優しい彼の手を止めることが出来ない。

この心地良さに今だけでいいから溺れていたいと彼女は思った。

………

しばらくの間撫で続けられ、泣き疲れからか彼女はいつの間にか夢の中へ落ちていた。すやすやと心地良く眠る彼女の姿に心底安心した様子の彼だった。

どうしてあんな事を…。彼は先程の光景がぐるぐると頭の中で駆け回っていた。
先程彼女は何もかも諦めたような瞳をしていた。誰も何も頼らず、ただ1人で居たいと、そしてできる事ならこの身を投げ捨て、人生を終わらせてしまいたいと絶望する、そんな表情をしていた。
彼は幼いながらに彼女の心理を少なからず読み取っていた。出会い頭の時も、身投げを出来ずに涙を流す時も、彼はどうにかして助けてあげたいと思っていた。
しかし出会ってすぐ他人のテリトリーに突っ込んでいくのはどうなのかと彼は悩んだ末に1度母に会いに行き、彼女についてのアドバイスを受け取って、もう1度会いに行こうと決めた次第だった。

彼は正直戻ってきて正解だったと本当に心の底から思った。あの時自分が彼女の表情を汲み取れずに心の底にある「助けて」を聞いていなかったら…。

彼女はきっとここで安らかに眠れてなどいない。そう考えると体が恐怖で身震いする。

「今度はオレが守ってみせるよ--みやぎ」

彼女に向けて囁かれた言葉は彼女の夢の中まで聞こえていただろうか。未だ消えぬ涙の跡に彼の胸は静かにチクリと痛んだ。





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