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マニキュア、すぐはがれる 梅雨のできごと

塗ったばかりのマニキュアが、お風呂あがりにところどころはげて、それはもうとても悲しい。マニキュアを塗っているときは、濁流に飲み込まれそうな日々にぽっかりとあいた時空の穴のなかにいるみたいに静かな気持ちでいられたのに、またそれを繰り返すと考えたら、もうそれは鬱陶しい。1日に2回も爪を塗ってはいられない。心の余裕のなさ。

最近、東京にある祖母の家が取り壊された。祖母はもうしばらくその家には住んでおらず、別の場所で暮らしている。母方の祖母の家なので、母の実家ということになる。その家はもうない。それはもう、とてもとても悲しい。

家は単なる箱なのに、その家に住んでいたことはなくて、年末年始に訪ねる程度の場所だったのに、なんでこんなに悲しいんだろうなと考えた。それは多分、わたしが祖母を好きだったからで、だから祖母が大切にしていた場所がわたしにとっても大切だったからだ。祖母はいま、何かを悲しむことも難しい状況なので、勝手に悲しさを肩代わりして、わたしと母で悲しんでいる。

居場所というのは、誰にとっても必要不可欠だ。物理的な居場所と精神的な居場所、どちらも揃っている必要がある。というより、そのふたつは繋がっていて、物理的な居場所はいつの間にか精神的な居場所としての意味を持っていく。母の実家が取り壊されると聞いたときに、祖母の居場所が物理的になくなるということは同時に、精神的な居場所もなくなるのだということを思った。つまりそれは死ということで、本人が亡くなっていないのに、いや亡くなっていないからこそ、死への準備が着々と行われていく。単純に「なんで?」と思う気持ちも強かった。自分にはまだまだ割り切れていない。

最寄りの駅から、祖母の家までの道はなんだかいつも明るかった。高層住宅がなく一軒家が多い地域なので、空が広く取られているのも関係しているように思う。閑静な住宅街という言葉が似合う、静かで落ち着いた街だ。祖母の家を出て坂をくだると、川が流れている。欄干に手をかけ川をのぞき込むと、50cmくらいはありそうな魚が泳いでいて、遊泳の様子をただ眺めるのも好きだった。ただもう、用事のついでにその川を眺めるようなこともない。住んだことのない街とわたしの関係はいとも簡単に途切れた。

思い返せば、たくさんの思い出が詰まった場所だった。大晦日、家族全員が寝静まったあと、兄とふたりでコタツにもぐり、ゲームボーイでポケモンを深夜までやり続けて怒られた思い出ごと、家と一緒に消えてしまったような気がする。祖母の家が怖くて寝られず、ただ天井を見つめていた夜も、物理的な場所が消えたことで次第に薄れていくのだろう。誰かのことを声から思い出せなくなっていくように、記憶を掘り起こさせるトリガーとなる場所がなくなってしまっては、この記憶も薄れていって、最終的には忘れたことすら忘れるのも仕方がないことなのかもしれない。多分そういうことをわかっているから、余計に家が取り壊されたことが悲しかった。もちろん今もまだ悲しい。

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