星を辿る話

先日Twitterを見てたら(誰がなんと言おうとTwitter)こんな話を見つけました。
「人生は基本等価交換。何かを得るためにはそれ相応の代償を払わなければいけない。だけど私たちは何を守って、何を切り捨てるかを選ぶ権利がある。自分が掴みたい星のために。」これを見てとてもしっくりきたのと同時に思った二つのことについて、整理の意味も込めて綴ろうと思います。

ひとつは記憶。
ずっと頭から消えない、いつのころかもわからない記憶。そこがどこだったのか、誰といたのかもわからない、憶えているのは夜露に濡れた草と周りを囲む針葉樹。そして、おそらくそこが山の頂上なんでしょう。上を見るとぽっかり空いた空に瞬く無数の無数の星たち。自分の星とも、原点というのも足りない僅かな記憶。

もう一つは、これから掴む星の話。犠牲と獲得の選択はとてもそう思う。出る舞台が変わることで今までいた回りの人たちが変わるのも、前を向いて歩き続けるために昔の嫌な記憶を忘れ去るのも、生活が多少不便になっても自身の好きなことを貫くのも、大きかったり小さかったりするけど全ては選択。何を犠牲にして、何を手に入れるか。僕はどうでしょうか。僕の星。先日友人のおかげで中学生の方々の演劇に触れる場のアシスタントをしました。短い時間ではありましたが、彼らが舞台を作るために意見を出しあうのも、コミュニケーションをスムーズにするために試行錯誤するのも、何より、慣れない誰かを演じて、誰かとやり取りをすることに向き合うことも、とても美しく見えました。
僕は彼らのように演劇の楽しさを知りたい人の第一歩になりたい。それが僕の星。他者とやり取りをすることの不安定さ、多面さ、面白さを知って欲しい。
その星を掴むための道はまだ出来上がってません、そもそも他の団体にどうやって知ってもらうの?って言う問題もありますし。ですがどうやら僕は周りの人にはすこぶる恵まれているようなのでえっちらおっちら歩いてみたいと思います。

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