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演劇とはなんぞや

家に帰ってくるなり、衝動に赴くまま以前人に勧められていた『SUZUKI'S CREATIVE TRAJECTORY IN TOGA 鈴木忠志創造の軌跡』をみた。はじまった瞬間の体幹えげつない人たちに衝撃を受け、その後の身体操作の緻密さに「OH! ジャパニーズニンジャ!?」となり、公演のダイジェスト部分の人間ごとの無駄な癖を省いた空気が張り詰めている静のエネルギーに目をひかれた。

動画中盤の車椅子に乗った数人が移動するシーンで、ターンする時もブレが一切ないのを見て、だいぶ前にある人に言われた「セリフ一つ、シーンの動き一つミスしたら終わりだと思いなよ(意訳)」「自分は演劇をやめたら何一つないんだから」という言葉をふと、思い出した。動画の人たちを見て、少しその言葉がわかった気がした。動画の中にいた彼らは指一本、汗一滴まで賭けているように見えた。そして確かに、今の僕は演劇がなくなってもなんだかんだ生きていける、と思う。今の僕は自分の全てをかけた先にあるものが、それだけ素晴らしいものなのか不安になっている。

初めて見た演劇は、わかりやすい時代劇ものだった。そこにいた、舞台上で唾を飛ばしながらも自分の命を削るように言葉を発する一人の俳優を見て「こんなふうに覚悟を持って生きたい」と思って演劇を始めた。その後いろんな「演劇のカタチ」に出会った。それでもまだ、人間はなぜ、古来より演劇を行ってきたのか。これだけ文明が発展し、より良い社会生物になろうとしている人間が何を求め演劇を行うのか。演劇というもの、その果てにあるものはなんなのか。それがわからずに生きている。

だがSCOTを見てより思った。まだ触れたことのない多くの舞台芸術がある。そして今までは出来なかった指一本、汗の一滴まで賭けたものをやってみたいと思った。未だ不安はある。その先になにがあるのか。でもまずはやってみて、それからわかるものもある。今はそれをやってみたい。

あるのはただ、好奇心だ

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