アン爺の戯言

シリーズ第4弾の投稿です。貯まった日記を急いで公開しています。

アン爺の戯言シリーズ その16            20.4.11コロナ感染者数・・・人との接触を遮断する往来禁止を
 一向に止まらない新型コロナウイルス感染者数です。今日の新聞では6千人を超えていました。感染者が増え続けているニュースを見ている人が、「ひょっとしたら自分も感染しているのではないか」と心配になり、進んで検査する人が増えてきたからではないかとも思われます。数字はどうにでも操作することができますが、兎に角まだウイルスが猛威をふるっていることも事実でしょう。
 都道府県別の人数を見ていて気付くことがあります。このウイルスは相当感染力が強く、人から人へと空気感染や接触感染によって増えているのです。感染者が多く出ている所は、人の往来が激しいところと言えるでしょう。東京を中心にして埼玉・千葉・神奈川の首都圏は軒並み300人以上です。そこに住んでいる人の数も多いわけですから、動き回る人も多いので感染してしまうのです。
 最初の頃、爆発的に多かった北海道はそれほど増えていません。いち早く「緊急事態宣言」を出した効果が表れているのでしょうか。ずっと感染者0人だった鳥取・島根県に感染者が発生し、今は岩手県のみが0人です。過疎と言われている県で人の往来が少ないと言えるでしょう。
 宣言が出され、外出を控えお店の営業を自粛するよう要請されてきていますから、少しずつ人の往来が減れば感染者も減るかな?

アン爺の戯言シリーズ その17            20.4.12畑の野菜達・・・水が欲しいと待っています
 宣言が出されてから時の経つのが遅く感じられて仕方がありません。嫌なことは早く解決して欲しいと思えば思うほど長く感じてしまうのが人の心なのでしょうか。今頃は、学校に行って子供達と楽しく授業をしていたはずでした。それができずに毎日ただ畑に行くしかない単調すぎる毎日が続くと飽きが来てしまいます。
 しかし、これも人類に課せられた試練だと思い我慢するしかありません。いやいや、マイナスに捉えることはしないようにして、畑には私を必要としているモノが待っていると考えましょう。
 畑には、野菜達が待っています。暖かさが増してきて畑は賑わってきました。様々な種類の野菜が芽を出したり、苗が植えられたりしています。気温は上がっても、雨が降らないために大きく育ちません。そこで、水を撒かなければなりません。ポリタンク2個に水を入れて毎日行っています。
 畑の野菜を書き出してみましょう。「生育中…長ネギ、玉葱、わけぎ、春キャベツ、春菊、ジャガイモ、ブロッコリー、空豆、シシトウ、万願寺、ミニトマト・発芽中…枝豆、落花生、ホウレン草、カブ、大根、サラダ菜、からし菜、大葉、トウモロコシ、オクラ、ゴーヤ、長芋、里芋、、、」この他にも、大根の花や菜の花やハーブ類などの草花達です。水が欲しいと待っています。

アン爺の戯言シリーズ その18            20.4.13雨の月曜日・・・チャップリンの映画は笑いと涙が
 久しぶりの本格的な雨降りです。雨が降るよう願いが天に通じたのでしょうか?そんな迷信じみたことはありません。天気予報では、今日は雨の一日になることを告げていました。雨が降ってくれるのはありがたいことですが、今日の雨はちょっとばかり冷たい雨で外に出るのを躊躇してしまいます。
 こんな時は家でテレビを見て時間を潰すしかありません。朝ドラを見た後は、ニュース番組です。でも、どのチャンネルをつけてもコロナのことばかりで面白くありません。
「そうだ!ユーチューブを見よう!」
 早速、志村けんさんが死んだ後に嵌っている「チャップリン」を見ることにしました。無声映画ですから、登場人物の表情や動作を見ながら、チャップリンが今どういう気持ちを表現しようとしているのかを読み解くのが楽しいです。相変わらずのピエロの扮装で町中をうろつく浮浪者役です。町中で盲目の花売り娘と出会い、彼はなけなしのお金を払って、一輪の花を買います。すると、自殺しようとしている大金持ちと出会い仲良くなります。何とか娘さんの目を治して貧乏暮しから救おうと奮闘するのです。そして最後の場面、目が見えるようになった娘さんが手を触って、助けてくれた恩人と分かりハッピーエンドです。うるっと感動しました。

アン爺の戯言シリーズ その19            20.4.14ウイルスと日本人・・・世間の中で生かされている自分
 人類が地球上に登場してからウイルスや細菌との戦いは続いています。元々の微生物であったウイルスや細菌に対して、人類は後発の生物です。如何にして戦いに勝ち、共存共栄の道を探ってきたか、それは苦難の道であったことでしょう。
 全地球的規模で新型ウイルスが蔓延しつつある中で、日本はそれほどの死者を出していません。これまでのコロナウイルスとは違って、かなり手強いウイルスに変異していますが、しぶとく持ちこたえている要因は何なのでしょうか。
 その大きな要因は、日本人が農耕民族の血を受け継いでいるからではないでしょうか。人の命を奪ってしまうような非常事態に対して、しっかりとした備えがDNAとして持っているからでしょう。農耕は一人の力で行うと言うよりも集団的な力で成し遂げるものです。収穫までには多くの人が関わり協力して行わない限り、糧を得ることはできません。
 それでも、とてつもない気候変動による冷害の年には、食べる物もなく多くの人の命を奪われたこともありました。疫病が流行ったこともありました。しかし、したたかに生き延び続けてきたのは、耐えることを知り、互いに助け合い、じっと我慢していくしかないことを体で学んできたからでしょう。
 ですから、今回のような地球的規模での拡大への対策で、アメリカやヨーロッパなどのような都市封鎖もしないで、人々への「要請」と言う形で外出を制限して欲しいと、緩いお願いでも感染拡大を防ぐことができると思います。
宣言が先週に出されて以来、人が多く集まる繁華街の人影はめっきり減りました。「お上のお達しには従おう」と言う思いは日本人ならではないでしょうか。また、買い物に行く時には誰でもマスクを着用すると言うのも他者へのマナーとしてやるべきこととすぐに理解できるのです。(もっと早ければ良かったのに…)
 しかし、欧米人は狩猟民族です。集団的な力を求めることよりも一匹狼的な個人の力を重視します。獲物をしとめれば、それは自分の所有として独り占めできます。個人としての力がずっと問われてきた社会の中で生きてきました。社会とは契約によって結ばれているに過ぎない存在です。成功するも失敗するも全て自己責任が課されられる社会です。
 そんな欧米人の中には、コロナに罹るのは自分の問題であると考えている節が感じられます。平気で握手やハグをし、顔を隠すマスクはしません。そういうDNAを持った民族なのです。罹患するのは個人の責任に帰せられます。ですから、ニューヨークやパリなどの大都市を強制的に封鎖しない限り、人の移動を止めることができません。全てが契約社会ですから、自分が行きたいと思ったら自分の責任で判断して行動してしまうのです。
 しかし、日本人は常に周りの世間を気にし、自分だけの行動を慎むことができるのです。きっと日本式要請が評価されるでしょう。

アン爺の戯言シリーズ その20            20.4.14快晴の一日・・・久々の雨に歓喜する植物たち
 昨日の雨によって、芽吹いたばかりのはが生き生きと輝いています。朝から青空が広がり、その青さの中に溶け込んでしまいそうな淡い緑色をした木々の葉は白っぽくさえ見えます。世間はコロナウイルスの喧騒で落ち着きませんが、植物らは迎え来た春を楽しんでいるかのように美しいです。
 じっと家の中で過ごしていた昨日でしたが、今朝の快晴を見ると急いで畑に行きたくなってきました。ここ1週間ばかりは雨が降らず、せっかく蒔いた種を早く芽を出させようと毎日ポリタンク2つに水を入れて運んでいました。今日は重たい思いをしなくて済みそうです。
 我が畑は、少し小高いところにあります。最後の坂を登りつめると、遠方に丹沢の山々がくっきりと見えます。一番手前が大山です。山の頂には白い雪を被り、昨日の雨で山には雪が降ったのです。大山の右側には真っ白に雪化粧した富士山が頭だけを見せています。空は雲一つのない青空です。
畑は黒々としていました。風が強く、作物の生長を促すビニールのトンネルが飛ばされてしまいそうです。芽を出したばかりの野菜達に声をかけながら見て回りました。どの野菜も久しぶりの雨を喜んでいるように生き生きしていました。


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