見出し画像

戦うべきは幼稚さ:博士の普通の愛情

「金持ちの暮らしぶりはだいたい同じだが、貧乏人は全部違う」という言葉を聞いたことがある。言い得て妙だ。それが恋愛にも当てはまるんじゃないかと思っている。

極端なことを言えば「純粋な恋愛」というのは10代の中頃までで終わってしまうのではないかと感じる。それ以降は純粋だったときの幻影を追い求めているようにしか見えない。関西の言葉なら「しがんでいる」か。味がしなくなったものを押し入れから引っ張り出して味わうのは不幸か、と聞かれたら俺に明確な答えはないけど、恋愛に関する創作物に触れると出来の悪いドキュメンタリーを思い出すことがある。もう忘れてしまった、もしくは体験さえしていない若者が戦争のことを語っているような嘘臭さがつきまとう。

「いい恋愛小説を書くのは若い頃にモテなかったやつだ」というのは納得できる。一番人生が輝く季節にモテるやつを横目で見ていた体験を元にしながら、オクタン価の高い鬱屈と嫉妬と怨念をガソリンにして筆を走らせるのだから、その爆発力は強い。考えてもみて欲しい。若い頃にモテていた人が恵まれた豊富な経験をリアルに描いて何が面白いというのか。生まれてから一度も飢えたことがない人が『泥の河』のような映画が撮れるだろうか。

つまり、料理として出来がよければいいほど、食材は貧しいものだという矛盾が生じる。三大珍味と呼ばれる高級食材の中でフォアグラは違うけど、トリュフはスライスするだけ、キャビアは皿の上にそのまま乗せるだけだ。これがモテていた人の自慢話と似ていて、「はあ、最高級キャビアですか。スゴいですな」で終わってしまう理由だろう。

4つやっている定期購読マガジンの中で一番難しいのがこの「博士の普通の愛情」で、恋愛というテーマは人類が生まれた瞬間から存在していて、しがまれ、コスり倒されている。だから変化をつけるためには身分の違いや、時代背景などの調味料を大量にまぶす必要がある。それは「発明」に近い。ロミオとジュリエット、シンデレラ、ローマの休日などは、互いの境遇や身分が平等に揃っていたら何の話にもならない。ドラマのためにわざとGAPを作り出すことはZARAにあるのだ。

ここから先は

364字
恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。