デミと終点の街:博士の普通の愛情
俺は世界の大きな都市に行くことが多いんだけど、街は外部の者に本当の姿を見せてくれない。人々が普通の生活を営む場所はシャゼリゼではないし、タイムズスクウェアでもない。だから、地下鉄で終点まで行ってみることにしている。東京というのは世界の都市の中でも並外れて巨大だ。一度、外国から来た人と埼玉から鎌倉の方まで行ったことがある。大宮だったような気がするけど、そこが大都会だと思っていたようだ。高速道路を走っているとき、「ねえ、街はどこで終わるの」と聞かれた。
彼女の住んでいる街はヨーロッパの小さな漁港らしく、港近くの数キロのエリアに数件の顔見知りの家が点在しているだけ。それで街は終わりなんだそうだ。埼玉から都内に入ると「街が終わる」どころではなく、さらにビルが密集していくのを見て、絶句していた。横浜を通り、鎌倉に着いた頃には彼女はぐったりしていた。「人が多すぎる」と。俺はこどもの頃から人が多いことに慣れているから何も感じたことがない。反対に、この前行ったアイスランドの島の人口が7人であると聞いて驚くくらいだ。つまり、自分の常識と違っていると発見がある。
パリやニューヨークなどの街の中心部にいるのが好きなんだけど、ちょっとだけ離れた、東京で言えば高島平とか小菅とか菊名みたいな街を見てみたくなる。この前の台北では地下鉄の終点である『淡水』まで行った。海岸沿いの街なのに淡水だ。数日前のパリでは12番線の終点「Mairie d'Aubervilliers」に行ってみた。ちょうどいい感じにダサい店があったり、全国的なチェーン店がなかったりと、俺の理想はこういう街だ。ここもパリであることは変わりなく、こういった街も含んでいるのがパリだ。「パリですか、おっしゃれ〜。セレブ〜〜」じゃないんである。
終点の街で思い出したことがある。10代の頃の話だ。
男子校に通っていた俺は同年代の女性と遊びに行く機会がなかった。男と遊ぶのが一番楽しいからな、と皆はお決まりの言い訳をしていたが、正直に言って我々の仲間は誰一人彼女がいなかっただけだった。ある日曜日に横浜駅に行くと、久しぶりに知り合いのおばさんと会った。おばさんは「あら、懐かしいわね」と言いながら西洋人みたいなハグをしてきたが、俺はもうあの頃の小学校低学年ではない。顔が赤くなった。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。