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「いい写真も悪い写真もない」

いい写真を撮るにはどうしたらいいかと聞かれることがあるんですが、それがわかっていたら、俺はもっといい写真が撮れているはずです。

マジレスすると、最初に「誰にとって」とつけてみるととてもわかりやすくなります。自分にとっていいと思った写真を撮りました。まずはそれでいいでしょう。

それを見た人から「私にとってもいい写真だと思うので、撮影を依頼したい」と言われるようになれば写真を撮ることを仕事にできる。

仕事で撮る写真は、いい写真であるか悪い写真であるかはあまり問われていません。目的に合っていることを最優先します。クライアントが求めている写真が撮れればよく、想像を正しく上回っていればなおよしです。

写真の評価が難しいのは、絵や音楽と違って「明らかなヘタが見破りにくい」という点です。だからデジカメで写真を撮ってみたら家族からホメられて、じゃあ俺もカメラマンになろうかななんて簡単に思ってしまう。

「ヴァイオリンを買って数ヶ月後にベルリン・フィルに入るのは不可能だ」「バットとグローブを買ったからヤンキースに入団したいというのはムリだ」と誰もがわかっているはずなのに、写真だとまったく同じ内容のことを平気で言ってしまう。恐ろしいです。

「誰にとって」が、家族や友人であればそれはまったく問題なくて、キャンプに行ったとき「ヤマダくんは写真がうまいから撮ってもらおう」というのはいいんです。ヤマダくんをねぎらって、後で焼肉をおごってもいいでしょう。

でもキャンプ仲間に焼肉をおごってもらった経験は「じゃあ、カメラマンになろうかな」に直結はしない。しないでしょう。

「自分にとって」いい写真、好きな写真を撮り続けるのみです。そうしているうちにいつか「他人からの反応」が返ってきます。ずっと焼肉なのか、数百万円なのかは知らん。でも数百万円払ってもこの人に撮ってもらいたい、というのはお金の問題じゃなくて、能力の客観評価です。

ひとつだけ言えるのは、まず「他人が喜ぶだろう」という思惑があると、それは相手から見透かされるので、ずっと焼肉でしょう、ということです。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。