コインロッカーの義務:博士の普通の愛情
ある骨董の集まりに行った。僕に骨董を教えてくれた人が鎌倉時代の香炉を見せながら言った言葉は、「私はこれを死ぬまで預かるのよ」だった。
名工によって作られたものは、価値のわかる人がある期間だけ自分の手元に預かり、次の時代に大事に手渡すのが義務なのだという。「だから、コレクターというのは自己顕示欲や自慢のために買ってはいけないの」と彼女はちょっと怒ったような顔で言った。白髪の美しい60代の女性だった。
彼女が僕に骨董品を見せてくれるきっかけになったのが、ある著名な収集家が高額なイタリアの画家の絵を買ったというニュースだった。僕がその値段に驚いていると、あの怒ったような顔で、「値段の話なんかしたらだめよ」と、たしなめられた。何も知らない僕は自分の無知を恥じたが、話の流れで彼女が持っている品物を見せてもらうことにした。今はもうないが、彼女の店は東銀座にあった。欧米の絵画や小品の彫刻などもあるが、中心になっていたのは青磁だった。
臙脂色のベルベットの布の上に置かれた10センチほどの青磁。
彼女は、「これを見てどう思う」と僕に聞いてきた。灯りがついていない暗い店内に玄関から夏の西日が水平に差し込んで、青磁は美しく光っていた。「醤油さしみたいに見えるけど」そう言ったら馬鹿にされるだろうと思って黙っていた。しばらくしてから彼女は、「じゃあ質問を変えるけど、古いか新しいか、ではどうかしら」と聞く。僕はそれならわかると思った。これはまったく古くない。鑑定眼などはないが、時間の流れを感じないのだ。
「おそらく新しいものだと思います」
彼女は笑顔になり、指先でひょいっとそれをつまむとガラスのカウンターの横に無造作によけた。
「これはね、知ったかぶりの客が来たとき最初に見せるものなの。うやうやしく店の奥からこれを出してきて見せると、目を持っていない人はずっと眺めてるわ。骨董市で買った10年前の醤油さしを」
彼女がいたずらっぽく笑うときの顔はとてもチャーミングだ。「意地悪はこれくらいにして、私が本当に好きなものを見せるわね」と言いながら、鎌倉時代に作られたという香炉を桐の箱から出した。箱書きだのなんだのという説明は一通り聞いたが全部おぼえていない。薄い緑色の香炉は、時間を越えてきたものだけが持つ光を放っていることが、僕でさえはっきりわかった。
「ある人からこれを預かったの」
買ったのではないんですねと言うと、彼女は首を振る。
「もちろん買ったんだけど、これはただの経済活動じゃないから、そうは言わないのよ。預かる権利を買ったの」
骨董の収集家というのは民間の博物館というか、もっとくだけて言えばコインロッカーみたいなものなのだと教えてくれた。価値あるものが紛失したり壊れないように次の時代に託す仕事。
「あなたみたいに、時間が経つというのは価値のあることですね」と僕は西日に照らされた彼女に言う。彼女が僕を営業時間外の店に呼んでくれたのは骨董の講義をするだけだったのだろうか。違うと思う。僕はそのとき33歳で骨董と呼べる代物ではなかったけど、時間が経てばそうなれると感じてくれたんじゃないかと期待していた。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。