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DRIVE MY CAR:博士の普通の愛情

『DRIVE MY CAR』を観た。映画に愛情というテーマが出てくるとき、それはあまり多くのパターンを持っていない。ある程度の基本構造は似ていて、その肉付けの細部に違いが出る。原作になった村上春樹の小説は読んでいないけど、全体を流れるトーンは村上春樹の表現をうまく再現しているような気がした。

最初にうまくいっているように見える主人公の夫婦が出てくるが、そこに別の男が登場する。まず、この若い男が夫婦間に何かを引き起こすだろうことはたやすく想像できる。突発的な出来事で自宅に戻り、妻の不貞を目撃するんだけど、ここで思い出したのが今村昌平監督の『うなぎ』。主人公は役所広司さんだった。彼はその場で間男と妻を殺してしまうが、この映画ではそうならない。さらに妻は何も精算しないまま消えてしまう。

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この、修羅場を作らずに投げ出した設定にはとてもリアルさを感じる。トラブルがあってそこで大事が起きるというこちらの想像を裏切る。さらに後からそれらの事実を主人公は以前から知っていて、原因は過去の悲しい事件にあったことが観客にわかる。映画全体がコミュニケーションが難しい状況を多く取り入れていて、家族や恋愛や仕事などに影響することを描くんだけど、やはりメインテーマはクルマの中に流れる「過去の声」で、主人公の愛情の物語なんだろう。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。