見出し画像

ユミと海に行きました:博士の普通の愛情

音楽って不思議ですね。それを聴いていたときの映像が目の前にパッと広がる。そんな誰もが思いつきそうに陳腐なことを頭に浮かべながらラジオのスイッチを切った。一人の部屋。

しばらく前まではユミが一緒にいたんだけど、何も言わずにいなくなった。僕が好きな映画のひとつに『時代屋の女房』があるが、今観ても夏目雅子さんの美しさに目を見張る。主人公である夏目雅子さんはどこかからやってきて、どこかに消えていく。渡瀬恒彦さんはそれに翻弄されるんだけど、あの気持ちはよくわかる。人の気持ちはいつまでも同じ場所にはないのが本来の姿であって、結婚や家族などの書類に記された関係を必死に維持しているだけなのではないかと思えてくる。

ユミはある雪の日に僕の部屋にやってきて、時代屋の主人である僕の心の中に住みついた。僕はずっと彼女と一緒にいるつもりだったが、向こうはそうではなかったようだ。いなくなる少し前に英語を勉強しているのを見た。テキストを小さい声で読んでいたので、何て言ったの。聞かせて、と言うと「発音が悪くて恥ずかしいから嫌だ」と言ってテキストを閉じた。

彼女がどこかに行ってしまうのではないかと思うようになったのは英語を勉強していたことも関係していた。外国に行くつもりなんだろうか。僕はユミに直接聞くことはできず、部屋に増えていく英語の本を眺めているだけだった。

何日か帰って来なくなって、これは本当にどこかに行ってしまったのではないかと思い始めたのは夏だった。英語の本は置きっぱなしになっていたが、伊勢丹で買ったのだと言って着て見せてくれた水着はなくなっていた。本当に時代屋の話とそっくりだった。何の手がかりも与えてくれずに消えてしまう人。

ある日、YouTubeを見ていると、英語を教えている動画に目が止まった。僕はまったく英語ができずおぼえる気もなかったのでそういった動画を見るのは初めてだった。そこに映っていたのは30代の男性講師だった。ホワイトボードに次々と例文を書いていき、その解説をしている。あれ、この例文。僕はそこに書かれた文章を一時停止して読んでみた。

ここから先は

384字
恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。