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泣くんだ:博士の普通の愛情

「恋愛カウンセラーか。行きたくないな。なんだかうさん臭い」
「恋愛なんてそもそも全部がうさん臭いものだから仕方ないよ」
「そうか。うさんだけでできてるのが恋愛だよな」

友人の酒井と会ったとき最初は心療内科の受診を勧められた。そんなところに行くのは緊張するよ、と言ったあとに薦められたのが「恋愛カウンセラー」だった。恥ずかしながら俺は妻と別れたことで仕事や日常生活に大きな支障をきたしていた。もしリモート勤務が可能な時期でなければ今頃会社を辞めていたかもしれないと思う。

「ただ、話というか愚痴を聞いてもらうだけでいいんだよ」
「酒井も知ってると思うけど、俺は占いやカウンセラーやその手のものが苦手だから、大丈夫かな」
「占いとは違うよ。まあ、そこで何も解決しないようだったら心療内科に行けばいい」

酒井は恋愛カウンセラーのインスタ・アカウントを教えてくれた。

「今度行こう、じゃダメなんだからな、野中。絶対に今週行くんだぞ」

学生時代からの友人である酒井は、俺がいつも問題を先送りにする悪い癖をたぶん親以上に知っている。

虎ノ門の駅前の新しく綺麗なビル、その6階にクリニックというのか何と言うのか知らないが、それはあった。電話で予約したことを若い女性の受付に伝えるとカウンセラーがいる部屋に案内された。高級ホテルの部屋にあるようなソファが置かれていて、ガラステーブルを挟んで反対側にも同じソファがある。

「初めまして。錦です」

カウンセラーは「錦市場の錦です」と言いながら自分の左手の掌に指で漢字を書いて説明した。

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5年間結婚していた妻がどこかの男と仲良くなり、数ヶ月前に離婚したことを説明した。俺の目をじっと見ながら静かに聞いているカウンセラー。悪い人ではなさそうだと好印象を持ち始める。妻との話を人に聞かせることに緊張していたのだが、好印象を与える能力も大事なんだろう、とか、けっこう儲かっていそうだなと、脳の半分を冷静に使う余裕もあった。

「なるほど、お話はよくわかりました。ところで野中さん、ネットは見るほうですか」
「まあ、普通ですかね。普通がよくわからないけど、普通に見ています」
「しばらくネットをやめてみましょうか」
「どうしてでしょう」
「ネットというのは自分が思ってもいなかった部分への無意識の刺激が強すぎるんですよ。極端な話をすると自殺なんて思ってもいなかった人が自殺について書かれたサイトを見てしまい、心がそちらに傾くという現象も起きています」
「わかるような気がします」
「野中さんの場合はどんな内容であろうと、男女間の話を見聞きするたびに今の自分の境遇と重ね合わせてしまうはずです。ですからできるだけ見るのをやめましょう」

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。