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『キツネ狩り』:博士の普通の愛情

近所の古本屋さんで美しい装幀の洋書を見つけた。イギリスの草原らしきものが描かれた表紙の、それほど古くないペーパーバック。ぱらぱらとページをめくるとあまり難しくなさそうな短い文章が並んでいた。英語を勉強している私は丁度いいテキストになりそうだと思ってそれを買った。古本屋のおじさんに、「エコロジーだ。袋はないよ」と言われて、私はそのまま本とお釣りを受け取った。店を出るとき剥き出しの本を持っているのは万引きっぽくてちょっと面白かったし、トートバッグにしまっても万引きの仕草に見えるのは同じだった。

ときどき行くカフェに寄って本を取り出す。ぎいぎいと音を立てて軋む小学校にあったような木製の椅子に座布団が置いてある。洒落たクッションなどではない。民芸調の薄い座布団だ。低くて座り心地の悪い椅子は客に長居をさせない店主の策略だと思う。もしくはこういうのが逆に洒落ていると思いがちな趣味の悪い懐古主義だと思う。そんなことを数秒間考えてから本を開いて目次を眺める。掌編というのだろうか、たくさんの短いストーリーの題名が並んでいた。『コナの夕陽』という一編から読み始めた。別に意味はないんだけど、メニューにあったコナ・コーヒーを注文した。普段なら頼むことはないが小説の中身と現実を微かに繋げる行為は嫌いではない。運ばれてきたコーヒーカップからはとてもいい香りがたちのぼった。

イギリス人作家にありがちなと言ってしまうとあまりにも乱暴だが、ハワイ島に住む詐欺師の話が辛辣な言い回しで書かれていた。コナの夕陽というからにはロマンティックなストーリーなのかと思い込んでいたが、ろくでもない男がつまらない詐欺で逮捕され、親類がその被害に遭ったという警官から袋だたきにされるという話だった。文章の中にいくつか意味がわからないスラングがあったのでスマホの辞書アプリで翻訳してみる。どの単語も「フォーマルな場では使わないこと」「皮肉に満ちた悪意のある表現」などと注意書きがついていた。読んだ印象は悪くなかった。軽妙でシニカル。私が好きなタイプの作家かもしれない。

店内には小さな音量でピアノ曲が流れている。本を読んでいて音楽が聞こえなくなる瞬間が好きだ、と付き合っていた男に言ったことがある。彼が、「きみって、そういう感性をアピールしたがるよね」と言ったので数日後に別れた。そう言われた瞬間、私はちいさな笑顔を彼に向けた。もちろんその言葉は不愉快だったに決まっているが何も反論しなかったのは、なぜ私が傷ついたのかの理由をそいつに教えたくなかったからだ。今後も気づかずにその無神経さを誰彼構わず振りまいて生きていくといい。私は傷つけられた相手に反省材料を与えるほど優しくはないのだ。『コナの夕陽』を読んでいる途中で音楽が聞こえなくなったので、いい本を買ったと思う。

次に『キツネ狩り』を読んだ。ロンドン郊外で馬に乗っている父と子の会話から始まる。15歳の息子が父親が持っていた銃を貸して欲しいと頼む。危険なので躊躇した父親だったが子供の成長を喜ぶ気持ちの方が大きかった。ぎこちなく猟銃を構えた息子が森に向かって恐る恐る一発撃った。同時に動物の甲高い叫び声が聞こえたので近づくとキツネが横たわっている。父親はキツネ狩りが禁じられていることを知っていたので黙ってその場を立ち去ろうとしたが、息子は誤って撃ってしまった罪悪感からか埋葬するつもりらしい。そもそもイギリス伝統のキツネ狩りは銃で撃つものではなく、馬に乗った集団がフォックスハウンドなどの猟犬をけしかけて追い回すスタイルである。17世紀から続いたこのスポーツ・ハンティングは残酷であるなどの理由で、イギリスでは2004年に禁止されている。

息子が息絶えたキツネを抱き上げようとしたとき、木の陰から子ギツネがじっと見ているのに気づいた。母と子だった。息子が数歩後ずさると子ギツネは母のもとに走りより、体から流れる血をいつまでもなめ取っていた。呆然としている息子に父親は、「あの子は母親が死んだことにまだ気づいていないんだ」と言って子ギツネに向かって右手を突き出した。最初は拳を握ったまま。子ギツネがその手を見たとき、ハンドサインを出した。「これは、あなたの隣にいる人は死んでいる、と教えるサインだ」と父親は独り言のようにつぶやいた。そのサインを見た子ギツネはゆっくりと森の奥に消えていった。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。