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フランクで大ザッパな口調:博士の普通の愛情
他人への第一関門を突破するのは「口調」である。
初対面の誰かと話すとき、特に異性が相手の場合はフレンドリーさをコントロールするべきだということを知らない人が想像以上に多い。口調は関係性を表すから、たとえば互いに丁寧な敬語を使っている人たちは、周囲から見ても初対面だったり、ビジネスなのだということがわかる。
先日、ある仕事の現場でいきなりバチボコのタメグチでプライバシーに関わることを聞かれたことがあって驚いた。ビジネスの場でさらに初対面。隣にいたプロデューサーは長年一緒にやっていて俺のことを熟知しているので、次にその場で何が起こるかを知っていた。
これは人によって考えが違っていていいんだけど、俺が人と出会うときはどんなに年下であってもそんな態度は取らない。だから完全にその人のことを無視した。そういう人はおそらくなぜ無視されたのかはわからないと思うし、たとえ気づいたとしてもけっこういい歳の人だったのでこれからも変わることはないだろう。教育的指導をしたり俺の流儀を押しつけるつもりもなく、今後俺の人生に関わる人、ビジネスをする相手として選ばなかっただけだ。
その人は「フレンドリーに接したのに無視された」と思うだろうが、フランクさと馴れ馴れしさは違うし、特に異性の場合は感情の勘違いをされないようにすることはとても大事だ。よく英語には敬語がないと言われることがあるけどそんなことはなく、年齢や上下関係を始めとした立場の違いは言葉遣いとして明確に存在する。そういったことに無神経でいられる人だけが「敬語がない」などと言う。
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異性の壁を突破するためにはここがもっと重要で、知り合った人に「では是非また機会がありましたら皆さんと食事しましょう」と言われたらこれは社交辞令である可能性が高い。適切な距離をとっている。しかし夜中に飲み歩きがちの男女を観察して欲しい。そんなことを言っていないのがわかる。「代々木に住んでんの。マジ。じゃあ今度ふたりで飲もうよ。LINE教えて」となる。このあからさまな違いを受け入れるかどうかでその先は決まってくる。
つまり、最初の扉が開いているよ、と互いに思わせるかどうかにかかっているのだ。「また機会がありましたら是非」という人を軽々しく深追いしないのは「扉が閉まっている」からだ。自分が鍵を開けてしまっているのに泥棒に入られたという主張は認められない。「あの人が勘違いして困っているんだけど」というのは、まず自分がエントランス・フリーの態度を見せてしまったからで、いわゆる自己責任論ではない。入国審査でパスポートも出さずにやってくる人を入国させる審査官は国を滅ぼすだろうということだ。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。