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ドイツ刑法典130条:PDLB

なぜ今回の「PDLB」でこんなことを書くかと言えば、企業の経営者をはじめとして、知識人、文化人と呼ばれるような人は、グローバルスタンダードを外れるような無教養な真似をしてはいけない、という理由からです。

「ドイツ刑法典130条」の民衆扇動罪は、ご存じの方も多いと思いますが、「特定の民族・宗教などの集団に対する憎悪をかき立て、暴力を誘発するような行為を禁止する規制。ヘイトスピーチ・ホロコースト否定・ナチス支配の賛美などに対する罪」のことです。簡単に言ってしまうと、ナチスが行った過去の罪を賛美・肯定してはいけない、ということです。

日本にはこういった法律がありません。なぜでしょう。いまだに「日本には戦争責任はない」とか、「植民地があった大東亜圏を我々が解放した」とか、「現地の経済を発展させた功績」などといった、あの戦争を肯定する発言が後を絶ちません。では現代のドイツが、ユダヤ人やポーランド人などに対して感謝を要求するようなことがあり得るでしょうか。絶対にありません。日本では政治家や財界人などに、太平洋戦争の美化をする人がしばしば見受けられます。それは法律がないからではなく「他人を傷つけることに鈍感だから」です。

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戦後、「1945年の8月にふたつの原爆を日本に落とした国」であるアメリカの暮らしぶりに憧れた日本人は、奇妙なことに、「あんなに豊かな国と戦争したら負けるのも当然だ」と冷静になり、アメリカのファンになったのです。経済発展の手本はアメリカでした。日本は軍需景気や高度経済成長を盾に、徹底的な忘却と自己弁護に頼ってきました。もちろんアメリカというのはヨーロッパから流れ着いた人々が作った寄せ集めの新興国であり、様々な感性や思想をバランスよく持っていることも事実ですから「アメリカとは」と簡単に表現することはできません。私が言っているのは『日本に原爆を落とすと決めた瞬間のアメリカ』のことです。

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今日8月15日は「終戦記念日」ですが、ドイツ降伏の日である5月8日は「ヨーロッパ戦勝記念日」と呼ばれています。戦勝国が戦勝記念日と言っているのならこちらは敗戦記念日と言うべきですが、戦争責任を減らすことを目的に第三者が批評するかのごとく「終戦」と呼んでいます。

このことを見てもわかるように、日本は人類が後にも先にも味わったことがない原爆投下という悲劇さえ忘れようとしています。その鈍感さは他国に向きます。アジアの国々、当時自分たちが植民地にしていた国へのいわれなき差別がいまだに根強く続いています。自分たちが忘れているんだから君たちも忘れるべきだというのは、殴った側の論理です。殴った私も心が痛んだのだから、君たちもいつまでも殴られたことを根に持ってはいけない、という暴論です。

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