会話のタイミング:博士の普通の愛情
妻の盗癖に気づいたのは、結婚してから2年ほど経った頃だった。
彼女はごく平凡な僕に似合っていて、どこも変わったところがない人だった。知り合ったときに聞いた音楽の趣味とか、バスケ部に在籍してはいたが一度もレギュラーになったことはないこととか、大きくも小さくもない会社に就職して総務部で働き、30歳で僕と結婚したこと。テレビドラマの主人公の個性を強調するためだけに近くにいる役のように「普通」だった。
ある日曜日の午後、僕ら夫婦は近所のショッピングモールに行った。どうしようもないレストランやドラッグストアや、家電量販店があるやつだ。僕たちは徒歩で来たが、大勢の家族連れがイライラしながら駐車場の順番待ちをしていた。
「イライラするほど来たい場所かね、ここは」
三階建ての駐車場を見上げながら僕が言うと、彼女は、
「私たちだって毎週来てるし」
と言った。それほど面白いことを言うわけではないが、返しのタイミングが好きだ。それは最初に会ったときに思った。僕の会社の部長の送別会だった。名城公園近くの居酒屋。座敷の席で隣にいたのが彼女の会社のグループだった。あまりないことだとは思うけど女性だけの集団の、幹事というのかよく知らないが、40歳くらいの人がこちらの席にやって来た。こっちは女性だけなんですが混ざりませんか、と言う。僕らは八割くらいが男性だったので交互に座り、おかしな合コンの様相を呈した。ぎこちない自己紹介が一通り終わると僕の向かいに座った彼女に趣味を聞かれた。
「僕は外国のSF小説を読むのが趣味です」
自分でもウケの悪い答えだということはわかっていた。でも女性の歓心を買えるような別の答えは思い浮かばなかったし、嘘をついてまで頑張ろうとも思っていなかった。
「私、まったくSFは読まないんですけどお薦めがあれば教えてください」
視界に入るほとんどの女性が無反応だったのに、彼女だけがそう言ってくれてほっとした。こういう時には興味がないことにもあるふりをするタイプなのかなと疑ってみたが、それから数時間話すうちにただの正直な人だとわかった。僕は話すのがあまり得意ではないのでちょっと会話のタイミングが悪いという自覚はあったんだけど、彼女と話しているととても滑らかに会話が進む。初めての経験だった。自分が上手に話している錯覚さえ生まれたその瞬間、もしかしたらこういう人と暮らせばストレスがないんじゃないかと感じた。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。