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F: 幡野さんのブログ。

俺が尊敬してやまない写真家、狩猟家の幡野さん。

彼の写真を初めて見たときは衝撃を受けた。鹿や鳥がさばかれている血だらけの写真だったり、かと思えば人々の姿が美しく優しく写っていた。会ったことはないけど、この人は嘘のない素晴らしい写真家だとすぐにわかった。

彼は狩猟をするから、撃った動物の写真も多くある。ネットでそれを見た人が「残酷だ」と書いた。違うんだ。残酷なのは目の前で絶命した鴨の姿ではなくて、食肉に加工された状態でしか命を見ていない鈍感で都合のいい我々の方だ。彼は反論と言うより、丁寧にその説明をしていた。

数年前に会社員から写真家になったというキャリアもその写真の腕前からすると尊敬の対象だった。写真を撮るのは技術を学ぶことじゃない。確固として撮りたいモノが決まっていることの方が大きい。

自分が考えること以外、どんな流行にも左右されないだろう幡野さんの骨太な魂を写真や文章から感じた。去年TDWで初めて実際に会えたときには、ガッチリとした握手に本物の骨太さも感じることができた。

ネットでやり取りしている通り、木訥でマジメで素晴らしい印象を与える人だと思った。その時に撮ったモノクロ写真はうれしいことに彼のプロフィールに使ってもらっている。

お子さんができて、さあこれからどんどんいい写真が、と思っていた矢先にこのことを知った。彼も書いているが、生きていくとは自分の問題よりも近くにいる人が何を思うかの方が大きい。本人もどんなに辛かったかは推測できるけど、周囲は本当に辛いだろう。

遭難してカメラを捨てた話も、今はカメラが大事だという話も、涙が止まらずにどうしようもない。このことを少し前にメッセージのやり取りの中で知ってはいた。だから彼が書くことのすべてに「限りのある日々」を感じてしまっていた。

学ぶというのはおこがましいけど、今のところ健康で写真を撮ることができているが、それに感謝しているか、無駄にしていないか、ここ最近はそればかりを考えている。命に限りがあると知っていたらやりたくないことは、健康だからできる遊びというか、意味のないことなのだ。

写真を撮る人には特に大きな意味があるけど、それだけじゃなく、すべての親や子、家族がいる人にこの文章を読んで欲しいと思って無粋にもシェアしちゃう。

幡野さんの文章の美しさも、ファンになった理由なんだよなあと、これを読んで改めてわかった。何度も何度も書き直したんだろうな。

https://blogs.yahoo.co.jp/hiroshi_hatano1983/18764364.html

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。