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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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2022年1月の記事一覧

原子の美しさ:写真の部屋(無料記事・再掲)

知人と旅行したり、初めてのスタッフとロケに行ったりすると、俺の撮り方に驚かれる。「いつもSNSで見ている写真はこう撮っていたのか」とわかるからだろう。 歩きながら目に入った美しいモノを何でも撮る。じゃあ、美しくないモノはあるかと言えば、ない。とにかく自然も人もモノも、世界のすべては存在しているだけで美しいのだ。 だから「これを美しいと思いなさい」「この店のパンケーキが流行です」という他人の情報で動くことに不思議さを感じない人は、俺が撮っているモノを見て「なんでそれ撮ってん

わざとらしい構図:写真の部屋

写真を学び始めたばかりの人が陥るのが「わざとらしい構図」を作ってしまうこと。始めたばかりというのはやや優しく言っていますけど、それなりに仕事で撮影をしている人でさえ、なぜこんな構図なんだろうと首をかしげるときがあります。 たとえばインタビュー記事などで何枚かの写真が載っているとき、全部が極端な「人物が端に置かれている構図」であるのを見かけます。数枚の組み写真の場合は変化をつけるために崩した構図を混ぜる意味は理解できますが、全部が全部それだと、カメラマンはおろかセレクトとレイ

セカンダリーマーケット:写真の部屋

美術品が買われ、しばらく経ってそれをコレクターが他の人に売るときに価格は跳ね上がる。美術品の価値を計るとき「セカンダリーマーケット」において需要があるかというのは重要な基準になる。たとえば無名の作家が知り合いに作品を売ったとしても、それがセカンダリーマーケットに流通することは万に一つもない。ここが大きなポイント。 写真が作品として欲しい人の手に渡り、また別の人に欲しいと思ってもらえるというのは作る側としては評価として受け取れるし、幸福なことだ。ここは「NFT」とも関係してく

バルセロナ:写真の部屋

数日前に、「一枚だけ旅の写真を選べ」という話をした。そしてその舞台裏にはこんな捨てられたカットがある。 どこかに行ったときのフォルダを開いてみると、いつもタクシーで羽田空港に向かう途中の「ポン・ジュース」の看板、都市伝説の鳥居などの写真が出てくる。目に入ってくるから飽きもせずに毎回撮ってしまう。 順を追って載せていると切りがないので、空港や機内やパリでの乗り換えの写真は割愛する。ずっとカメラを片手に撮っているから量が膨大なのだ。もういきなり夕方にバルセロナのホテルに到

料亭に持っていく魚:写真の部屋

今週は劇団かもめんたるの舞台を観に行き、ダイノジ大谷さん・田中泰延さんとのトークイベントに出演し、永田ジョージさんたちのライブを聴きに行き、平林監督の「SHELL and JOINT」を観て、金沢に行った。そこで考えたのは、何かを作ることは時間や表現においての「枠」を提示することだから、それ以外のすべてを除外する行為なのだと今更ながら気づく。 演劇や映画の2時間程度には収まらない膨大な部分を一度検証したあとで捨てることに意味がある。全部は言えないから最後に残す選択を間違える

RAW現像:写真の部屋

さて、この一枚。なぜ一枚というかと言えばまだ「写真」ではないからです。 北陸新幹線の車窓から適当に撮ったものですが、これを例にしてみましょう。こういったスナップを撮るときホワイトバランスは太陽光に固定、シャッター速度優先で1/1000にしています。1/1000秒だとだいたいのものが止まって写ります。1/500だと普通のスピードで歩いている人でもブレることがあるからです。人体の中で一番速く移動している部分はどこでしょうか。撮った写真をじっくり観察したことがあればわかると思いま

優先順位を学ぶ:写真の部屋

写真家の幡野さんがTwitterで、誰かのRAWデータを現像するという試みをしている。それがとても面白い。本人と幡野さんが現像した写真を比べているんだけど、写真は出てこないから想像するしかない。そこもいい。 幡野さんのコメントを読めば、送ってきた人が何をどう間違えているのかはすぐにわかる。初心者の典型的な特徴は、彩度上げすぎ、もしくは適切なところまで上げていない、また、コントラストやシャープネスをかけすぎ、などがある。ソフトでいくらでもいじれるから加減がわからなくなってしま

撮影の現場:写真の部屋

いつも不思議に思うことがある。それはカメラマンになりたいという人が、「カメラマンとはどういう仕事をしているかわからない」ということだ。プロ野球選手になりたい高校生は、自分でプレイをしてプロの試合を観てそう言っているんだけど、カメラマンが仕事をしているのを実際に見たことがある人は少ないだろう。できあがったポスターや写真集を見て、こういうのをやりたいというのはわかる。 でも、ひとたび本気でそれを目指そうとしたとき、何からどう始めたらいいかわからず途方に暮れてしまう。カメラを買え

自分の外側の変化:写真の部屋(無料記事)

写真家の幡野さんがやっていた、誰かのRAWデータを現像してアドバイスをする、というのがとても面白いと思った。今までにもそういった試みはあったと思うけど写真の内容まで含めて語っているのが新しい。 誰でも、「今までやっていたのと同じじゃダメだ」と気づく瞬間がある。気づかされるという表現が正しいかも。映画でも演劇でも写真展でも、もし誰かの何かを見てそう感じたのなら、自分はすでに遅れている。彼らはそれを世に出すまでの数ヶ月前にはもう新しいことを試していたんだから。 最新ニュースを

複数の時間:写真の部屋

ポートレートでも風景でも一緒なんだけど、同じ場面での写真を何枚も見せるのは得策ではないと思っている。それは、「色々撮ったんですけど、一番いい一枚に絞れませんでした」と言っているように見えるから。もっと驚くのは同じ写真をモノクロとカラーの加工違いで見せたりすること。これも同様の理由で優柔不断さしか伝わらない。

世界観の論理構造:写真の部屋

写真には「論理構造」がある。わかりやすい例で恐縮だけど、富士山にゴミが捨てられている、荒れ果てた大地に一輪の花が咲いている、など。それらは論理構造が浅いので、見ている人に心を見透かされてしまうことになるからできれば避けた方がいいと思っている。言語的な論理で単純な説明ができてしまうモノは理解が速いから忘れられるのも速い。 一次的な共通認識と言ってもいい。美しい富士山を汚すのはけしからん、厳しい状況でけなげに咲く花は尊い、などといった誰もが持ちうる(自分が過去に見たことがある)