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二ヶ月の間に、体重を八キロ落とした

死の間際をさすらったその半年近くの間に、つくるは体重を七キロ落とした。まともな食事を取らなかったのだから、当然と言えば当然のことだ。
出典 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

僕もここ二ヶ月の間に、体重を八キロ落とした。僕の場合は死の間際をさすらったわけではないけれど、一日一食というまともに食事を取らなかったわけだから、当然と言えば当然のことだった。

二ヶ月前に何があったか思い返してみると、丁度薬の服用を始めたタイミングだった。
薬の名前はアトモキセチン。主にADHDとうつの改善があるとのことで、お医者さんに処方されて飲み始めた。

薬をはじめて飲んだ次の朝、人生で一番冴えた状態で目覚めることができた。冴え具合は朝読んだ活字が、全て理解し正しい位置に情報を確認して格納されるのを感じた。まるで脳の中にAmazonの倉庫が建てられたようだった。

その日、人と話しても、相手の一つ一つの発言をシンプルに理解することができた。いつもは相手の発言の意図や文脈に脳が過度に反応し、脳のファンが高速で回転していたが、この日以降は発生しなくなった。

僕から手の届く範囲の社会で生きていくにはこの覚醒はすごくありがたかった。むしろ、周りの人たちは自分にまとわりついていたモヤが存在せず、こんなにも身軽だったのかと思うと、周りも人を羨ましく感じた。

それと同時に、この状態で23年間ここまで生きて来れてよかったなとも思った。

薬を飲み始めて得たものもあれば、失ったものもあった。
特に人間の三大欲求が喪失とは言わないまでも、大きく減ってしまったように思う。

一つ例をあげてみる。
食欲の場合だと僕は一日一食になった。
この一日一食はルーティンではなく、そもそも空腹を感じなくなった。お腹が鳴って、飢餓感もない。たまに、その日の食事をとったかどうか忘れることもあるくらいだ。

変化の話だと、薬を飲む前に本当に服用すべきか、長い時間悩んだ。

特に薬の影響による感性の変化が恐怖を感じた。
今までにあった映画を観た後の心ここにあらずの状態や、海に沈む綺麗な夕陽を見た時の高揚感はもう感じられなくなるのではないか?感じられなくなるということはその知覚から発生する思考も無くなってしまうのではないか?という感性の変化への恐怖と、現実世界でうまく生きるために服用すべきという気持ちとの、堂々めぐりをした。

二ヶ月経ってもこの恐怖については今も感じている。
僕は恐怖に対抗するために趣味の写真でポートレートを撮り始めた。
ポートレートといっても親しい友人とサシで会って、記念に写真を撮らせてもらうというものだ。
撮った写真も500年前ならば肖像画と言われそうな、なんとも言えない硬い感じの写真だ。しかし、この自然体ではなく、被写体と撮影者の気恥ずかしい感じが、撮影時を想起させるので気に入っている。

また、僕はこれらの写真を見たときに、その日彼らと会話した内容や表情と風景を思い出す。
その会話の中で僕は昔の状態に戻れる。
久しぶりに会った友達の場合でも、はじめはぎこちなくても、話しているうちに打ち解け、いつの間にか昔の感覚に戻っている。
今の彼らの中に過去の環境や彼ら、自分の面影が内包されていているのだと思う。
僕はそれらに巡礼し写真を撮っている。
まるで映画メメントのレナードがポラロイドで必死に写真を撮るようにだ。

被写体の彼らには感謝してもしきれない。

今後もこの恐怖と闘い続け、巡礼し続けようと思う。

P.S 下記は体重減った時のグラフ。実際に数値で見ると驚きがあります。

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