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【雑談記事】転職体験記(別ブログ記事移行)2020/3/25記事

※※この記事はdiarynoteサ終に伴い、移行した記事です。2020/3/25に投稿している過去記事となります。


はいどうもー。あにりんです。

もう一か月以上ゼクスタにも出てなくて暇なので、前から書こうと思っていた転職体験記でも。

もう2年も前になって、だいぶ落ち着いてきたので。

まあ世の中にはいろんな職種があるので、それによって様々違いはあるとは思いますが、参考?程度に読んでいただければと思います。

というわけで簡単な職種等プロフィールから。

【職種】建築設計系
【学歴】4年生大卒(建築学部)
【社歴】1社目-4年7か月
    2社目-2年(現職)


(①前職の話)
大学4年間関西にいて、就職で東京へ。

大学生活の話を書き始めるとまた長くなるのですが、訳有って大学のコネやらなんやらは一切使わず、マイナビかリクナビで見つけた構造設計事務所へ就職。

仕事自体は割と面白く、技術やビジネスマナーも付き、周囲との人間関係も良好だったが、業種形態がちょっと宜しくない。

個人設計事務所、「結婚できない男」を見たことがある人はそれをイメージしていただけるといいですが、あれよりは人数は多いものの、概ね同じ感じ。

ようは、ゼネコン出の社長が一代で立ち上げた数十人の事務所のため、社長に振り回されることがしばしば。
土日返上のバーベキュー・毎月月末のコンパ・社訓の朗読、いろいろあったな~。

それでも、残業は正直そこまで多くなくって、裁量は個人任せで、上にも書いた通り、楽しくやりがいはあったので、その辺は付き合いだと思って4年ほど続けて。

5年目に入ったとき、先輩から割と大きめのプロジェクトリーダーを引き継いで(それまでもメンバーとしてやってた)。

設計作業だけでなく、工程管理・採算管理・外注管理・月例会議と資料作り・客先との打合せ・営業同行・新人の教育・転職者や学生の面接・アルバイト管理・マニュアルやExcelやcadのテンプレート作りetc・・・割と頑張ってそこそこ上手くいって。

・・・

それが一切社長には評価されなかった。

社長曰く、「改良改善が足りない」「それをやりながら新規顧客の開拓も」「それをやりながら技術を磨け」「それをやりながら(自分のミスや工程調整不足で)困っている部署を手伝え」と。

良くある話なのかもしれませんが嫌になって、先輩全員と話して味方にした上で社長に相談。
その場では結論を保留にさせられたので、2017年12月に休職、そのまま1月に退職しました。

晴れて無職。ク・リト。



(②転職活動)
12月の間は、有給の消化中で一応在籍していたので、まあのんびりしていました。ほとんど転職活動はしてないかな。ちょっと休もうかと。

一応、周りには心配もかけたくないし、いつも通りを振舞ってた。
貯蓄を切り崩しながら、1月に毎年行ってる旅行も行ったし、深夜販売にわざわざスーツ着ていった気がする。ズィ杯も出た。

でもやたらとBMの17時のゼクスタとかにいたから、怪しかったと言えば怪しかったかも。

とりあえずDODAとマイナビ転職あたりに登録してハローワークへ。転職フェアの合同説明会にも数回参加した。ハローワークって活動実績を提出しないといけないんだよね。まあすごいノルマ緩いけど。

ちなみにハローワークにある検索機で上がっているようなのは、碌なのが無いため、基本は転職サイト活用が板。ここメモ( ..)φ

現職の面接を受けたのが3月上旬だったため、約2か月で大体8社くらい面接に行ったと思う。平均すると週1くらい。

少ないかどうかは業種にもよると思うのでわからないけど、技術職ではあるので、だいぶ絞ってはいたと思う。

前職と同じにならないように、設計業に専念したいという理由で、
「メーカー系やゼネコンの設計部」「ある程度の企業規模」「cad・建築知識を活かせる」こんな感じの条件で転職支援の担当者に依頼。

ちょっと稀な話も書くと、2月に前職でやってた「大きめのプロジェクト」の仲の良かった取引先から飲みの誘い。辞める挨拶はしてたので近況を聞かれた。

その後、その会社へのスカウトの電話。推薦状を書くからキャリアで入ってほしいと。当時27のぺーぺーだった自分にとっては、これ以上嬉しい話は無かったし、人生の分岐点だったかもね。
ゲームだったらエンディング変わってくる選択肢。

大学で同じ学部同じ部活だったやつが、そこに入社してたため、TELしてヒアリング。日本って結構狭いなって思った。

結局、面接のタイミング等の理由もあって、そこは断った。
後悔は無いとは言えないけど。まあ今楽しくやれてるからヨシ!


(まとめ)
そんな感じで2018年4月まで、約3か月の転職活動でした。

ここからはアドバイス等をまとめると。


①【出来れば辞めてから次を探すべき】
金銭的な不安が絡んできて、危険な面もありますが、結果として十分に時間を使って面接や経歴書を書いて対策していったのは間違いなく良かったと思う。
ダラダラと仕事続けながらだと、日程調整がかなり難しいし、会社も絞られてしまう。日本は福祉は充実しているため、意外と何とかなる。

②【制度を利用しよう】
当時かなり調べて、それを下に紹介する。
・失業保険
これは天引きされているため、知っていると思うのであまり言うまでもないが、仕事を失った人へ出る保険。
雇用保険を半年以上納めていると給付される。
会社都合ならすぐに。退職者都合なら猶予期間が明けてから。
だったら退職者都合は損じゃん、と思われるかもしれないが、残った残高は再就職手当として、のちにまとめて貰えるのでトータルはほぼ同じ。元の年収ベースで計算される。

・奨学金の猶予
大学時代に奨学金を利用していたため、現在毎月返しているが、離職票を出せば止めれる。(結局利用はしなかった)

・年金の免除
区役所に離職票を提出して申請すると、年金を一時的に免除期間に出来る。もちろん年金減額が心配なら、後で追納も可だと思う。学生猶予と同じ感じ。
社保を国保の変える手続きと一緒に出来たかな。たしか。

・住宅確保給付金
これは最終手段で利用はしなかったが、家賃が払えなくなる等どうしようもなくなった時に、レベルに応じて無利子か低利子で貸付け・給付の申請が出来る。福祉課の方へ相談すればいい。

他にも、ハロワの方で自立支援系の研修給付とか、いろいろあるかもだけど、自分がやったり調べたのはこんな感じ。住民税とかも減免とかあったかな?

③【手帳をつける】
とりあえず初めにしたことは、毎日やったことをメモ書きとして手帳に羅列していった。
そのまま、就職後に仕事関連のメモも続きに書いていって、今ではもうあまり開かなくなってしまったが、やってよかったな、と非常に思う。毎日のモチベ向上のためかな。
めっちゃゼクスタってメモがあるw

④【いい経験だと思って前向きに】
こんなに時間が取れることも今後ないだろうと、いろんなことを調べたりやった。

丁度当時流行ったビットコインと投資。
ふるさと納税による住民税の減免。
平日昼間の上野公園をスーツでブラブラして、ベンチで項垂れて職を失った人ごっこ。(実際に失っている)
トレカの買取のサインに「無職」って書く実績解除。
アニメ、積ゲーの消化。
自己啓発本を読む。(大学時代結構好きで読み漁ってた)
etc・・・

それこそ本屋に並んでる見出しの大きい本ではないけど、
自分は運がいい、と楽観的な性格のため、なんとか折れずにやれたのだと思う。


以上まあもっと詳しい話は、そういったブログは調べれば山ほど出てくるので、こんなもんで。

そのうちまた筆が乗ったら「大学生活クズクズ編」でも書こうかな。

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