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20年前の今日

はじめまして!アユムと申します。
1990年3月6日に宮城県仙台市で生まれで、5女3男、10人家族の4番目(次男坊)(後に姉夫婦など十数名がひとつ屋根の下で暮らす)という大家族の元で育ちました。

我が家では、自営の保育所を営んでおり、保育園や学校から帰るとまた、他の子達と遊ぶという毎日でした。(うちの兄弟はみんな他所の保育園に預けられていた)

小学校時代の僕は、学校に行かなくなったり、大好きなスポーツチャンバラに勤しんだり、着たい服が無い!と泣き叫んだり、止まっている車に自転車で突っ込んだり、木登りをしながら柿を食べたり、骨折をしたり(自転車で転んだ)、友達とケンカをしたりしながらスクスク、伸び伸びと勝手気ままに育ちます。

そんなある日、事件は起こります。

それは、小学校5年生も終わりに近づく12月中旬、6時間目の授業中、14時頃。
(あ〜ぁ、もうちょっとで帰れるなぁ。(*´・ω・`)=3)
と、ぼんやりと窓から校庭を眺めている時のことでした。
何気なく見ていた雲、空の様子がどんよりといつもより重たく、ザワザワと吹く強風になんだか嫌な胸のざわつきを感じていました。
いつものように帰宅し、ゲームをしている間にザワついた感覚は無くなり、ゲームに没頭していると、、、

遂に、ラスボス戦に到達。そして、あっさりと攻略。

んんん???おかしい。何回チャレンジしても倒すことの出来なかったラスボスをいとも簡単に倒せてしまった。。。
呆気ないなぁと、なんだか胸にぽっかり穴が空いてしまったような、それでいて満たされているような感覚に僕が浸っている時、階下では、父方の叔父さん、叔母さんが遊びに来た様子。しかし、なんだか様子がおかしい。

いつもなら下の妹達とじゃれているはずなのに、妙に落ち着いたような静かな声でみんなに出かける用意をするように指示をしているのです。
2歳年上の姉が2階に駆け上がってきて、「泊まりの用意して」と短く僕に告げ、リュックサックを取りだし下の子たちの着替えやらなんやらをザクザク用意し、姉のただならぬ様子に渋々ゲームを切り上げ、出かける用意をして階下に降り、事情を聞こうとするも「後で話す」と叔父さんも、叔母さんも口を開きません。
ただ、何かを堪えるような、不安のような何か沢山の感情や思考が複雑に入り交じった表情を浮かべるだけ。

車に手分けして乗り込み移動開始。
そして、やっと重い口を開いてくれました。

「新ちゃんが交通事故にあって、亡くなりました。これから、遺体を預かってもらっている教会に向かいます。」

・・・・・・・。

意味が分からない。

言葉の意味はもちろん分かる。
2001年12月19日、兄、新一郎が交通事故で亡くなったということ。
何故かどこかで納得してる自分もいる。
今日、授業中に感じた、嫌な予感。
あっさりと倒せたラスボス。

でも、実感は湧いていなかった。

教会に着き、冷たくなった兄(16才)と対面しても、葬儀を終えても僕は泣くことが出来なかった。
状況を呑み込めなかった訳では無い。

父と母の子供のように泣きじゃくる姿、兄弟、親戚の悲しむ姿を見ていたら、「自分は泣いている場合ではない」という思いが強く深くあったのだ。
かといって、無理矢理涙を堪えた訳でも無い。
ただ、涙は流れなかった。

「泣いてもいいんだぞ。」

やっと泣けたのは、火葬場に移動するバスの中。
母方の叔父さんが、バスの隣の席に座って「泣いてもいいんだぞ」と声をかけてくれた時。
それまで、堪えていたものが、堰を切ったように溢れ出た。
兄の想い、両親の想い、仲の良かった従兄弟の想い、兄弟のことを考えたらとてもじゃないけど泣けなかった。
泣いている場合ではなかった。

やっと、叔父さんが居てくれることで、安心して泣けた。 

20年前の今日、

兄が無くなってから約8ヶ月、当時はこの時期になると『火垂るの墓』を金曜ロードショーで放送していた。
その日、はじめてその映画をきちんと見た。
当時の僕は、それまで、兄と寝ていた家に備え付けの2段ベッドの下段(木製の引き戸が付いていて”部屋”として使っていた)で寝ることができなくなっていた。
1階の座敷に布団に妹達と雑魚寝しながら、テレビを見ていた。
『火垂るの墓』で描かれる、戦争の恐怖、大切な人を失う悲しみ、それぞれの心情、それらの全てが、兄が帰ってこないこと、兄の気持ちや、妹たちの想いを代弁しているかのようで、切なくて、苦しくて、また、泣いた。
映画などを観て泣くのは、初めてだった。

兄との思い出は沢山あります。当たり前だけれども、語り尽くすことはできません。
しかし、生前の兄との思い出だけではなく、その後、当時生後2ヶ月に満たない末弟が小学5年生頃に、また、3人の男兄弟の物語が紡がれます。

兄の死後、何年か後に我が家には、『離婚』という大きな変化が訪れます。

兄、僕、弟、3人の物語の続きは、その大きな変化の中で出てきたテーマでもあるので、そのことについては、改めて書きたいと思います。

あくまでも、僕からの視点ではありますが、これまでに感じ、考えてきたこと、魂の経験を綴っていこうと思います。

今回は、大分、重めの内容になってしまいましたが、楽しいことも、ヘンチクリンなことも、我が家(というか、ウチの親父殿?)は溢れているので、徐々に書いていこうと思います。

最後に

この記事を読んで、辛い思い、経験を思い起こさせてしまった方、不快な思いをさせてしまった方にお詫び致します。

僕は、【自然に迎える死】(自殺、安楽死を除く死)というものは、本来の世界に還ることだと感じ考えています。

どうか、これまでに亡くなられた多くの方が本来の世界に還り、また光り輝いていけるようお祈り致します。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^^)
地球と全ての生命、宇宙が幸せでありますように🍀祈りを込めて。

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