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売れないバンドと売れない行書

その昔、バンドに熱中していました(別にプロを目指していたわけでもなんでもないけど、ライブハウスには結構出ていた)。薄暗く煙たい地下で、ハイネケンを一杯ひっかけてから、ステージに上がり、数えるほどのお客さんの前で、自分なりのメッセージをシャウトするわけです。そして、勝手に自分だけ気持ち良くなって、ライブが終わった後、ジントニックを飲んで、はけなかったチケットを自腹で払うっていう。まぁ、青い。

メンバーと音を合わせた時の快感のためだけにやっていたようなものですが、その頃周りにいた人たちの95%くらいは、今は、普通にサラリーマンをやっていたりするもので。残りの5%のうちの1%だけが、音楽でご飯を食べられるほど成功していて、2%は、何をしているか全く不明。そして、残り2%は、実はまだバンドやってます(それではご飯が食べられないので、なにかしら家業の仕事なりアルバイトなりは、やっていると思われる)という感じだったりします。

自分もバンドの世界にどっぷり浸かっていた時期があるからこそ感じることですが、別に売れたいと思っていないならともかく、いつかレコード会社から声をかけられるかもしれないという淡い期待(音楽だけで飯食いたいという思い)を未だ捨てきれず、何十年と小さなハコでバンド活動を行っている様子を見ると、何とも言えない気持ちになります。

売れないバンドに不足しているものは何なのかということは、ググってみると、なるほどという記事がたくさんあります。彼らは実際、音楽そのものは真剣にやっていたりするもので、モチベーションとかの問題ではなかったりりします。一方で、音楽で成功した友人は、売れた理由をこう言います。

「いい曲を作っているという自信はあったけど、売り方をそれまで知らなかった。あと、自分たちのために、売ろうと協力してくる仲間がたくさんいるというのが大きい」

つまり、どんないい作品であったとしても、売るための正しい方法を実践し、また、それを実践するにあたって協力者がいなければ、作品は日の目を見ることなく、煙たい地下でくすぶり続けるだけだということです。

ずっと売れないバンドマンのSNSなんかを見ると、音楽仲間と一緒に、片手に酒を持ち、なぜか、漫画家の森田まさのりが書いた顔のように口角の一方を上げ、片目はしかめ、片目は見開き、指輪だらけの手でファッキン!的なポーズをしている写真が多い。別にディスっているわけではございません。ただ、昔からそういうバンド文化に触れていた自分としては、20年くらいたっても、1ミリも変わらないそのポーズに、思考が停止したまま時間だけが過ぎてしまっているという残酷さを感じずにはいられないのです。

行書も売れないとご飯食えません。さすがに、ファッキンポーズをする行書はいないかもですが。お客は来ない、だけどバッジはいつもつけてます。これは、売れないバンドマンがいつもファッキンポーズしているのと同じ構図に見えます。そこに所属意識と、強烈なアイデンティティを持っているという意味で。

いずれも、正しいかどうかはともかく、効果的だと思われる「売る方法」を実践できていないのではないか。自分が、それが苦手だというのなら、むしろ売るプロに方法を検討してもらって、実行するところまで協力をお願いしてもいいくらいだと思うんです。

自分らは、許可=納品です。納品までをスムーズにやれるのか、納品が難しいものを納品まで持っていけるのか。仮にその能力があったとしても、腕が良さそうだと相手に思ってもらわなければならない。苦言のような話になってしまいますが、だからと言って、バッジにその納品能力を伝える機能なんて一切ないのです。

高い楽器を持ってるバンドの演奏が、うまいとは限らないのと同じように。




路上シンガーの前に置いてあるチップのための入れ物みたいなものです。入れて頂いたら一曲歌います(心の中で)。