【ブルアカ】白洲アズサと彼女の積極的ニヒリズムについて
本記事には『ブルーアーカイブ』メインストーリーvol.3「エデン条約編」の一部ネタバレが含まれていますのでご注意ください。
こんにちは。鯖主です。
ブルアカミリしらの方でも読める記事になっていると思うので、良かったら読んでいってください。
まずはタイトルにもある「白洲アズサ」というキャラクターについて今一度。
*1 『ブルーアーカイブ』作中に登場する学園のひとつ。学園都市が舞台の作品なので所属コミュニティを在籍している学園で紹介されがちです。
*2 トリニティ総合学園のコミュニティのひとつ。名前の通り補習生の集まりであり、従ってアズサも勉強が遅れていたりします。
*3 *4 キャラクターごとの個別シナリオという解釈で大丈夫だと思います。
*5 『フルメタル・パニック!』のキャラクター。知らない人は読み飛ばしてください……。
かわいい。
引用元にも書かれている通りアズサは転校生です。そして、彼女が転校前に在籍していた「アリウス分校」という学園、もとい元学園は白洲アズサというキャラクターを語る上で外せないものとなっています。
察しの良い方は気が付いたかもしれませんが「アリウス分校」は、その昔キリスト教において異端とされた「アリウス派」を元ネタにしていると考えられており、名前だけでなくその歴史もアリウス派になぞらえています。
このような立場に置かれているコミュニティであるため「分校」とは言っても既に学園としては機能は失われており、アリウスはスラム街と化しています。下記ツイートの画像はその状況をよく表している一枚ではないでしょか。
そして、このアリウスに蔓延る思想として「 vanitas vanitatum. et omnia vanitas. 」というものがあります。元ネタは旧約聖書のラテン語表記であり、作中では「全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。」と訳されています。うーむ、なんだかニヒリズム。
元アリウス生徒であるアズサも例に漏れずこの思想を抱えています。抱えているのですが、その捉え方が他のアリウスの生徒と大きく異なっており、このアズサなりの「 vanitas vanitatum. et omnia vanitas. 」こそが彼女の芯となる思想であると考えています。
まずは例を挙げましょう。
『ブルーアーカイブ』作中にこの思想がよく表れている場面があるので引用させていただきます。「補習授業部でプール掃除をしよう!」という場面です。
アズサは寂れてしまったプールに対して「vanitas vanitatum」という言葉を使っています。
このように彼女は「どんなものでもいつかは等しく無くなってしまう」というようなことに対して「vanitas vanitatum」という言葉を使うことが多く、従ってアズサは「非永遠性」のようなものに対して虚しさを感じていると考えます。
肝心なのがここから。
「『vanitas vanitatum』……それが、この世界の真実。」と言っていることからも、確かに「全ては虚しい」ということを認め、受け入れているのでしょう。しかし、その後「たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない。」と言うのです。
これは、いわゆる「積極的ニヒリズム」とか「強さのニヒリズム」と言われる思想であるように感じます。辞書的な意味と比較してしまうと厳密には違うような気がするので、アズサのニヒリズムについて指す場合は〈積極的ニヒリズム〉としておきましょう。
私が驚いたのはアズサがニヒリズム的な思想が蔓延るスラム街のような環境で育ったにも関わらず消極的ニヒリズムではなく〈積極的ニヒリズム〉へと至ったという点です。
消極的ニヒリズムと言うと「虚しいことをただ嘆く」みたいな思想であり、上述したような希望とか幸せとかが遠そうな環境で「全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。」といった意味を持つ言葉を受け取ってしまえば、大半の子供は消極的ニヒリズムに陥ってしまうように思えます。いや、むしろこういった環境だからこそ希望とか幸せとかを求めて〈積極的ニヒリズム〉に至ったのかもしれませんね。どこまでいっても妄想の域は出ませんが考察とはそういうものでしょう。
アズサが〈積極的ニヒリズム〉に至るまでの過程はそのうち『ブルーアーカイブ』作中で描かれて欲しいと思ってしまいますね。それまでは妄想を膨らませ続けることにします……。
私は『ブルーアーカイブ』という作品を「明日のため、未来のための物語」であるという捉え方をしています。
そのため、アズサの「(どんなものでもいつかは等しく無くなってしまう≒)全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない」という思想はとても『ブルーアーカイブ』らしいものであると感じます。
「今日、最善を尽くす」という行動は明日があるからこそ出来ることなのですから。
ということで白洲アズサの話でした。
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