【部内対談】物語作品の「余白」と「テーマ性」について【国士舘アニ研ブログ】

(この文章は学祭や文学フリマにて頒布した部誌である「Cultures」にて掲載したものに一部編集を加えたものとなります。ゆるく喋ってます。)


【部内対談】物語作品の「余白」と「テーマ性」について

参加者
鯖主・ノベルゲームのオタク。
とり天・特撮とかのオタク。
ペンデュ(PEND)・主にゲームのオタク。守備範囲が広め。

鯖主 皆さん、ジブリ新作の『君たちはどう生きるか』は観たと思うのですが(以前、部内のメンバーで見に行った)近年の物語作品としてはめずらしい余白の多い作品でしたね。余白の多さが近年の物語作品としてめずらしい理由として最近は説明不足というものがあまり好まれない傾向にあるというものがある気がするのですがどう思いますか?

とり天 最近はだいぶ話のなかに情報を持っていくなー、という気はするね。

鯖主 作品例出そうにも多すぎてこれと言ったのが浮かばないです……。

ペンデュ こういうので括っちゃいけないと思うけど、ジャンルとして「なろう系」は説明が多いよね。

とり天 元々の共通の世界観みたいなものに独自の設定だけ入れる感じあるよね。

鯖主 「世界設定はナーロッパ(深夜アニメ・ライトノベルにありがちな中世ヨーロッパ風の世界観)です、そこに独自の設定があります」みたいなやつですか?

とり天 そう。で、その世界設定は全部説明しちゃいます、みたいな。

鯖主 一概に括るのも良くないですけど、現代の作品というと「なろう系」みたいな印象がありますが、こういった消費者が疲れにくい特徴がまさに現代っぽいですね。

ペンデュ 消費者に考える余白を作らせない作品が多くなったから、逆に今考える余地のある作品が生まれている、というのもありそう。

鯖主 やっぱ消費者が疲れない作品が多い時代に感じます。

とり天 考えないでも大丈夫な作品が多いよね。日常系とか。

ペンデュ あーあれこそ考えないで済む、と言う点については良いよね。一話完結が多かったり。

とり天 これは曲解だけど、ラブコメもそういう節があるよね。

鯖主 そういう作品はそもそも余白が生まれようがない、みたいな感じでしょうか。

とり天 相当な作り込みをしないとそういう余白は生まれないよね。

鯖主 逆に余白のある作品というと、ナーロッパみたいな共通の世界
設定や日常系のような余白が生まれないキャラクターではなく、独自の世界設定やら過去なんかを余白としたキャラクターでしょうか。

とり天 日常系ならキャラクターはキャラクターとして存在していれば十分って感じ。

ペンデュ そうだね。

鯖主 ただ、余白の多い作品だと、同じようにキャラクターについてあまり深堀しなかったとしてもそれが余白になったりしますがその差はちょっと謎です。

ペンデュ まあ、余白が多ければ多いほど解釈とかの自由度は増すよね、絶対的な事実みたいなものに触れるのって怖いし。

とり天 それに余白が多いと神秘性みたいなものが活かされたり、とか。

鯖主 諸々のことについて考えるのが好きな傾向にある層をターゲットとしている作品だと、そもそも勝手に余白を考えるみたいなところはありそう、というのはちょっと思いましたね。逆に日常系を好むような層だとあまり考えることが無い傾向にある気もします。

とり天 無から何かを生み出すタイプのオタクか。

ペンデュ そういう人たちが余白ってものを作っているっていうところありそう。

とり天 もちろん作品自体に余白はあるんだろうけど、思い込みすぎというところもあるよ。

鯖主 (同意)

ペンデュ 『ワンピース』とかそうじゃない?勝手に考えて考察する人とか、あれこそ無理やり余白を作って考えている人が多いんじゃないかな。
とり天 『ワンピース』は生まれた謎を後でちゃんと回収してくれるからそういった面が目立つよね。

鯖主 他に余白が多い例だとTCGがあったりしますね。

とり天 フレテキ関連はほんとにそう。

鯖主 (ペンデュは良く知らないので)ほとんどのカードゲームって一応ストーリーがあって、それはカードイラストとフレーバーテキストっていうカード効果とは別に書いてある1~3文くらいのストーリーやキャラクターの説明みたいなもののツギハギで作られているものがほとんどです。

とり天 モノによっては後からストーリーが詳しく書かれ本とかが公式から出たりして、ストーリー解析がそれ待ちになったりとか。

ペンデュ なるほどね。

鯖主 そういう風な「パズルのピースが少しずつ揃っていって、でも揃わないでちょっと穴が開いている」みたいな物語の作りなので余白を考えて補うという側面が強いです。だから公式の答え合わせ本みたいなものも公式が勝手に言ってるだけという側面が強い印象です。

とり天 空白が本当に多い例だと「このキャラクターとこのキャラクターの繋がりがあります」だけで終わったりするし。

ペンデュ そういうのってプレイヤーの期待値の90%で止めるから、ストーリーを自分たちで考えて考察して面白いよね、みたいな感じなのかな。盛り上がり時点で止めるのが効果的なのかもしれない。結局作品の余白になってた部分が明かされて自分の思っているのと違ったら嫌だろうし。

鯖主 そういうのも込みで個人的に公式資料集的なものはあんまり好きじゃないんですよね。

とり天 そうなんだ?

鯖主 さっきから言ってる公式が勝手に言ってるだけ、みたいに思っているところがあるので。作品が作り手から離れて消費者が受け取った時点でそれは既に作り手のものではない、というか。

ペンデュ 消費者の自由だもんなー。

とり天 たしかにそこは派閥が分かれるのかもしれないな。考察とかで考えたことはありえるかもと考える人間と、それはオタクが勝手に考えていて正解は公式と言う人間と。

鯖主 その差がさっき言った余白を考える層と考えない層の違いに感じます。

ペンデュ 大体の人は嫌な余白、例えば好きなキャラが死んだかもしれないとか、そういうのがあると不安になって公式の言ってることが正しいみたいになるのも最近の傾向に影響してそう。

鯖主 それに加えて最近疲れにくい作品が好まれやすくてそういう作品においては、さっき言ったみたいな好きなキャラが死んだどうかあやふやみたいな。そういう消費者が明らかに気が付く余白はなるべく描かない方が良いのかもしれません。そういう作品が最近多いからこそ、いわゆるオタク的な作品を最近触り始めたという人は余白の少ない作品ばかり触れることで余白の多い作品の楽しみ方が分からなくなってそうだなーとも思います。それで余白がない作品ばかり触れてしまうとさっきみたいな余白が心配に繋がる心理みたいになってしまうのかなと。ジェネレーションギャップと言うと結構適当ですけど、そういう感じの。

ペンデュ ジェネレーションギャップというか物語作品を消費する人のレベルも物語作品自体のレベルもどんどん上がっているあっていうのとあるかも。昔で例えるなら娯楽小説とか文字を読むのが遊びに近い、今で言うゲーム的なものだけど、俺からしたら硬派に感じるのよ。その傾向で言ったらそういう小説同様にどんどんレベルが上がってるんじゃないかなって。
鯖主 昔の作品あんまり知らないですけど、そういう話だと昔の作品よりもいまの作品の方が情報量なんかは多い気がします。

とり天 構築する世界が広がったよね。

鯖主 昔は小さいですからね。

とり天 そもそも日常を描くにしてもからして現代人の生活は情報多いし。

鯖主 ちょくちょく言ってますけどコンテンツ飽和時代なんて言われてるくらいにはモノやら情報やらコンテンツに溢れてますし、現実も創作もそういう時代なんだなって。

ペンデュ あとはセクシャリティな部分も昔より理解され始めててそういう部分もレベル上がってる。例えばジャンプだと前までは性行為を暗喩する描写はあまり無かったけど最近はそのキャラクターがヤったかヤってないかみたいなそういう関係図みたいなものが何となくだけど伝わってくるような。そういう部分も少しずつレベルが上がってるなって。

とり天 個人的にはレベルが上がっているというより多岐化しているなってイメージ。

ペンデュ 確かにそれはそうだ、そうかも。

とり天 作者としては既存の作品と似てしまうのは好かない事じゃん。そう考えたら色々工夫を凝らして別のものとする作品が増えて多岐化するのも当然かなと思う。

鯖主 いわゆる「オタクコンテンツ」が割と一般化して、それに伴ってニーズも広くなってしまったのもありそう。母数が多ければニーズも増えるというのはそりゃそうですが。元々が狭かったという話もありますね、身内ノリの色が強いというか。『らき☆すた』とかはまさに「そういうオタクが見ます」みたいな感じだし。ベタベタな身内ノリの。最近だと『ポプテピピック』がそれ寄りに感じます。

とり天 そうだね。そういう作品は最近だとネット配信限定作品とかが増えたイメージ。

鯖主 限定配信すれば視聴者の多くはそういう身内ノリを好む人で固められてゼロ年代のノリに近い感じになるのかなーと。まあゼロ年代知らないんですけど。

ペンデュ そっちの話もしてみたいな。

(話が逸れる)

鯖主 話を戻してここまでの話を振り返ってみると、余白の好き嫌いにはジェネレーションギャップ的なものがあって、その流れで現代の作品に慣れ親しんでいる人には余白の多い作品は好まれにくいのかも、みたいな感じでしょうか。そもそも物語作品について色々考えること自体一般的ではないのかもしれませんが。

とり天 まあ現代で言ったらそれがディープなオタクだし。

鯖主 そういうのも含めて色々考える必要のある余白の多い作品が一般層に好まれにくいのかなと。そういう一般層って多分最初は作品が普通に面白いなーで終わって、もう少し行くと最近の推し文化に感化されてキャラクターを好きになって、って感じに落ち着く気がします。

とり天 そもそも慣れが無いという話になりそう。

鯖主 どこで見聞きした話かは忘れましたが、物語を楽しむにはそれ(そのジャンル)に対応した筋肉的なものが必要でその筋肉が一定未満だとその作品を楽しむのが難しいという話は結構ピンと来るので、そういうのが慣れ云々の話なんだろうなと思います。アニメ触り始めの人がいきなりディープなオタク向けの作品に触れても多くは困惑でしかない気がしますし。

とり天 シリーズものだと、どの作品は初心者向けどの作品はある程度触れてからの方が良い、みたいな話が出たりするしね。

鯖主 やっぱりその辺が余白の多い作品が好まれにくい理由なんでしょうかね。話は変わりますが、テーマ性も余白の一種に感じますね。ただテーマ性っていっても結構広いんで一旦、以前note(ブログ)を基に整理します。具体的には物語作品を4種類に分けます。まず一つ目は「受け手に問いかけてる系の作品」ですね。この系統の作品に多いのが社会問題とかでしょうか。あとは作中にトロッコ問題みたいな思考実験とか倫理哲学なんかを持ち出すような作品が当てはまりますね。二つ目は「なにか言ってる作品」。問いかけとその問いかけに対してその作中での答えを提示している作品ですね。これが一番ありがちなテーマ性な気がします。よく「作品は自己表現の場」と言いますけど、そういう表現が当てはまる作品達の多くがここに分類されるような気がします。作品例は、そうですね、あんまり思いつきませんが『メイド・イン・アビス』とかじゃないですかね。なんか他にありますか?

とり天 俺はあんまりそういうのを実感したわけじゃないけど『ジョジョ』なんかは人間賛歌っていうテーマがついてるしそれに尽きるんだろうなぁ。

鯖主 確かに。それこそ『メイド・イン・アビス』でも「生きるって素晴らしい」ってところがありますもんね。作者が死を描くと生が輝くみたいなこと言ってた……気がするように。

ペンデュ 対比関係とかってわかりやすいしな。

鯖主 作品の人物を死に近づけると作中のキャラの生が輝くって確かにそうなんですよね。

とり天 好きなキャラの好きになった理由とかに死に際シーンですって言うオタクだよな。

鯖主 と、そこがこの二つ目の「なにか言っている作品」の「なにか」を言ってる部分ですね。あとは宗教色強い作品、例えばキリスト教モチーフな作品とかは「なにか言ってる作品」側かなって。そもそも宗教自体がなにか言ってて、「こうするといいですよ」とか「こういう風に生きなさい」みたいな。そりゃそうって感じですが。

とり天 宗教とかって開祖?の生き方みたいなのを記したそれぞれの聖典が作品みたいなもんだしな。

鯖主 そうですね。で、三つ目が「なにも言ってないけどテーマ性はある作品」。この前見に行った『君たちはどう生きる』かは個人的にはここに当てはまりますね。なんなら、ジブリ作品全般が当てはまるとすら思ってます。『君たちはどう生きるか』って作品としてはなにも言ってないじゃないですか(主観)。別に「こう生きよう」とか「これが素晴らしい」とか、そういうことはなんも言ってないですからね。だからといってテーマ性がないってわけじゃない。ここが余白云々の話に繋がってくるんじゃないかなと。

とり天 この世界ってあれだよね。悪人臭い人間も救われるしね。本当になにも言ってない。

鯖主 あと、セカイ系もこういう作風の強い傾向があるんじゃないかなって個人的には思ってます。セカイ系って基本的になにも言ってないんですよ。キャラクターたちの色々を描いてるだけなので。ただ、そんなかでもキャラクターの生き方は提示してくれるわけで、そこからテーマ性みたいなものを抽出するっていうのは全然できる、みたいな感じです。

とり天 いろんな人の物語を作品に濃縮してテーマにしたって感じだよな。

鯖主 「作品としてはなにも言ってないけど感じ取れるよね」ってとり天がさっき言ってたところですね。最後に四つ目が「なにも言ってないしテーマ性もない作品」です。これは物語が軸というかその作品の目当て(需要となっているなにか)ではない、ギャグやアクション、ホラー、キャラクターのための作品に多い気がします。

とり天 てか、そういう作品が大体だよね。四つ目は。

鯖主 『サザエさん』寄りですね。日常が大事、みたいなテーマ性を読もうとすれば読めますが……。

とり天 キャラクターを消費するものだよね。

鯖主 そうですね。例えばソシャゲの5分アニメとかあるじゃないですか。あれの多くはこの四つ目に該当しますね。具体例が多いのでアレなんですけどとりあえず前述した三つ以外の作品ということで。とりあえずこの四つで分けて考えます。

物語作品をテーマ性という
モノサシで分けた時の区分 
・受け手に問いかけてる系の作品 
・なにか言ってる作品
・なにも言ってないけどテーマ性は
ある作品 
・なにも言ってないしテーマ性もな
い作品 

鯖主 私はこの区分だと二つ目のなにか言ってる系の作品が好みですね。問いかけてる作品とかなにも言ってない作品が嫌いってことじゃないですけど、なにか言ってほしいっていうのを求めて作品を追ってるところがあるので作品としてとりあえず何か言ってほしいなって。それこそジブリ作品はなにも言ってない(と消費する)ことが多いので、個人的にはあまり好きではないってのがあります。そういうのないですかね?

とり天 俺は三つ目のなにも言ってないけどテーマ性はある作品が好きかなって。さっきも言ったように、これはこうなんじゃないかなって考察をするのも楽しいし鯖主君とは逆に明示されるとその明示された答えだけってなっちゃう節があるから二つ目はあんま好きじゃないかな。

鯖主 要は余白の多い作品ですかね。さっきの余白の多い作品についての話で古のオタクっぽい気がするムーブしてましたけど、そうでもなかったんじゃないかっていう。まぁなんも言ってない作品が好きじゃないってつまり結構現代人チックな余白がない方がいい側の思考ではあるじゃないですかね。うーん。

とり天 ちょっと主語がデカくなっちゃうかもしれないけどノベルゲーマーはそういうコンテンツの消費の仕方をするってだけなんじゃないかな。
鯖主 あんま関係ない気はしますけど、実際そうかもしれないです。私個人としては、余白はむしろ多くあった方がいいかなと思います。明示され過ぎると公式が勝手に言ってるだけ状態になっちゃうんで。それはそうとしてテーマ性はガツンと言ってほしいところはありますかね。ペンデュはどうですか?

ペンデュ 俺は作品自体のテーマ性が明確になってるのは作品としての美しさは感じるし、一方で余白のある作品ってさっきの自分の言葉を借りるけど作品の受け取り方って個人の自由だからそこからいろんな解釈を広げたりするのは楽しいからな。申し訳ないんだけどこのテーマ性の中での一推しってのはないかな。

鯖主 こんなこと言っちゃうと元も子もないですけどこんなの作品によって違いますからね。

ペンデュ 我ながらこれはよくない解答をしてしまったかもしれない……。
鯖主 一人くらいはそういうのがいた方がいいかも。でもほんとにそうですよね。なんも言ってないからこそいいみたいな作品があるし、傾向としてこういうのが好きってのもあるし……。

とり天 てか、それこそ鯖主はノベルゲーが好きだからなんか言ってるのが好きだし、俺は特撮好きだからテーマ性はあるけどなんも言ってないのが好きってのはある。ペンデュはどういう媒体が好きってのがすごいあるわけでもないじゃん。だからこそなんじゃないかな。

ペンデュ いろんな種類の媒体を転々とするタイプだからさ。それ一つにこだわるってのはあんまないかな。

とり天 だからこう推してるムーブ?なんだろうなとりあえずそういうのがないんじゃないかな。

ペンデュ そうね。

鯖主 確かにジャンルである程度の分類って決まっちゃってる節はありそうです。もちろん、ノベルゲームだからってなんか言ってる作品ばっかりということはないですけど、傾向としてあると思いますし。これは完全に憶測なんですけど。ノベルゲームって尺が無限なんですよ。だから長々かけるんですけど、なんか言ってる作品って尺必要じゃないすか。だからノベルゲームはそういう余力が有り余ってるんで書けるのかなぁって。逆に問いかけエンドってかける時間がないから問いかけで終わってる、なにもいってないみたいな。またジブリになるんですけど映画って尺短いんでなにかを言うよりなにも言わない方が収まりがいいかと。媒体である程度テーマ性のテンプレみたいなのが決まっちゃってるんじゃないかなって。特撮はどうなんですかねその辺。

とり天 特撮はねー、なんも言ってないけどテーマ性があるってのが多くて、感じ取ることしかないってのがあるね。なんとなくこういうことが言いたいんだろうなってのは分かるけど、明言することはない。問題とか出しても一、二話完結が基本だから長続きしないんよね。

鯖主 やっぱ媒体に縛られてるって感じですね

ペンデュ 特撮ってさ、一応子供向けだしね。

とり天 何かのジレンマとかずっと引っ張ててもグダってるって言われて終わりになっちゃうことあるし。

ペンデュ メタ的に言うと子供と一緒に見てる親御さんも楽しめるみたいなそういう戦略もあるだろうしな。

とり天 そう。それで流行った作品もいくつかあるんよね。

鯖主 それ聞くとやっぱなにも言ってないけどテーマ性はある、さっきはセカイ系を例に出しましたけど、そういう作品は結構特撮寄りな感じします。

とり天 俺が思うに特撮とかって拡張性が強いんじゃないかなって。どこにいっても広げられるし流行るしでっていう。

鯖主 セカイ系の傾向としてなんもいってないけどキャラクターの物語は描く、というのはあるんで特撮はそれに近いんじゃないですかね。

とり天 そうだね。特撮ってヒーローもの多いからめちゃくちゃ薄っすらと勧善懲悪が見えてくるよね。もちろんその上で人間って悪じゃねっていうのはたまにあるけどそのテーマ性を前売りしているようなイメージはないかな。そうだ。俺ちょっと気になったんだけどさ、このテーマ性ってのはパッケージとかポスター公式サイトとかにさ、テーマ性を出してる作品と出してない作品どっちが好き?

ペンデュ キャッチコピーかな?

鯖主 『ニーア』(『NieR Automata』)とかそれですよね。「命もないのに、殺しあう。」

とり天 そうそれよ。そういうキャッチコピーを雰囲気で出すのかテーマで出すのかっていうのがあるじゃん。そういうのどっちが好き?

鯖主 うーん、これも大前提としてものによるんですけど、個人的にはあった方がバッチリ決まってていいなって。さっきも言ったように何か言ってる作品が好きなんでそれに近いです。

ペンデュ 俺もテーマとしての軸がそっちのほうがしっかりしてていいとは思う。人によってテーマがブレるんよな。そう考えるとテーマというものに対してなにもない、何もしないっていうのは強度がないんじゃないかな。

鯖主 本とかの読み物を例に出すとこの物語はこういう感じなんだなって朧げにある印象と公式とのテーマがバチっとハマった時の「おお!」って感じが好きなんでこれを体験するためにもテーマの明確性っていうのはあってほしいと思う。

とり天 俺もあった方が好きなんだけど、ない方がなにもまっさらな状態で見れるじゃん、って言う意見もあるんだよね。それはそれで面白い。

鯖主 キャッチコピーに引っ張られ過ぎることもありますからね。

ペンデュ 余白があると作品の楽しみ方の伸びしろがあるしな。自分の予想したものを超えてくることもあるしそういう面で言ったら大アリだな。

とり天 だからたまーに情報がない状態で作品を消費したくなるんだよね。

ペンデュ わかるマン。

鯖主 『君たちはどう生きる』かがまさしくそうですよね。最近、物語のマーケティング色が強くなりすぎて情報を出し過ぎる気がするんすよね。出し過ぎることが悪いってわけじゃないんですけど、売り出すぞってときには気分的に上がらないかなって。『君たちはどう生きるか』みたいな事前情報ほぼゼロでなんにもわからない作品を見るって経験として貴重だと思います。

とり天 それで言うとマーケティングうまいなって思うのが『シン・ウルトラマン』。本編映像はYoutubeに出してたりはしてたんだけどストーリーに関わる部分は出してないんだよね。中身もテーマも何もわからないで見に行けたのはすごい良かった。

鯖主 キャッチコピーにストーリーやテーマ性とかを組み込んじゃうとどうしてもその情報につられてしまいますからね。作品によって差異はありますけども。というかさっきから使っているこの分類も人によりますからね。サザエさんも「日常って素晴らしい」みたいな受け取り方もできるわけで。この手の話をするとやっぱ人それぞれみたいな結論になっちゃうんすよね。

とり天 駄弁りの延長戦に近いものだし結論とかはないじゃないか?

鯖主 そうですね。でも、これ一応対談なんですけど聞き手が聞き手として機能してないっていう問題が発生してるんすよね。

とり天 これはこれで対談ってことでしょう。

ペンデュ 作っちまったな、俺らが新しい対談を————

鯖主 話を戻して、さっきのキャッチコピーつながりで好きなキャッチコピーとかってありますかね?

とり天 結構ストレートなキャッチコピーなんだけど『まいまいまいごえん』っていうサンリオのゲーム(本誌でも紹介されています)があってそれのキャッチコピーが、なんだっけ……。「これは『心の成長痛』の物語」って感じだった気がする(合ってました)。こういう感じのキャッチコピーなんだけど、それだけじゃないっていうか園児だけじゃないってのがすごい好き。これだけみると主要キャラが本軸でいくものなのかなってなるんだけど実はそうじゃないっていうね。そういうのが好き。

鯖主 自分はブルアカとか好きですね。「何気ない日常で、ほんの少しの奇跡を見つける物語」みたいな(これも合ってました)。ここからは個人的な解釈なんですけど、ブルアカってなんか、なんやかんやあっても日常系だと思ってるんですよ。ハチャメチャなSFだけど、SFだけじゃない。このゲームって色々なことがあった後に青空背景で「それでも明日はあるよね」「明日も日常だ」的なエンディングなんですよ。そのなかで「何気ない日常」ってワードがあると個人的には自分の解釈と公式の解答がバッチリあってうれしいなって。さっき言ってたやつの例ですね。

とり天 俺もう一個あるわ。プリコネだわ。プリコネって今が2作目で無印があるのだけど、それを踏まえての今のプリコネのキャッチコピーがもう一度君とつながる物語ってなってて、もう一度っていうのは無印勢からしたら2作目って意味合いを込めてるもんだし、ネタバレになるんだけどやってなかった人にはゲーム中でもう一度っていうのがキーになってくるのがすっげぇきれいだなって思った。

ペンデュ キャッチコピー系か……。俺ってそういうキャッチコピーとかフル無視してアニメもゲームもやる人間だからあんまねぇな。逆に俺にとってはすべての作品が余白の多い作品みたいになってるかもしれん。おもしろそーだからやろーつってやり始めて終わってからディグるんだよね。このゲームはそういう世界観でやっぱやってるんだなってなったり、余白の多い部分は情報に左右されないから新しい見方ができたりしてそこからまた解釈の幅を広げるって感じだな。

とり天 ペンデュってストーリーないゲームやってたりするもんな。

ペンデュ そうね。『ディスコドッジボール』とか意味わかんねぇもん。二人の話聞いててよくそんなのポンポンでるなぁって思ってたけど思い返せば俺はそういう作品やってなかったり、作品を見たりやったりするのって結構突発的だったりする人間だからな。強いてあるとしたらソシャゲかなぁ。

鯖主 ソシャゲはマーケティングうますぎて良いキャッチコピーたくさんありそうです。というかここで出たキャッチコピーの作品もソシャゲですし。ノベルゲで好きなのだと「奇跡なんて起きない」みたいなキャッチコピーですね(正確には「そこに奇跡は起こらない————。」『Aster』でした)。物語も言葉通り奇跡が起こらない悲劇寄りの話で、この作品のテーマ性として現実よりのご都合主義否定的なものがあるんですよ。それをこの短文でビシっと決めてるのがいいですね。この言葉通りの物語が一貫してるので鬱ゲーって言われてますけど、しゃーなし。

とり天 今、仮面ライダーのキャッチコピーで調べたのが「僕たちにはヒーローがいる」っていうのがあるんだけどそれってこの作品じゃ当り前じゃね?ってなったんだけどこの作品は仮面ライダーに変身する人とそのライダーのサポートをする人の成長譚みたいな話だからライダーの背中を見て成長するって意味だとこのキャッチコピーってあってるなって。ストレートで。こういうのって真正面からバッとだしてくれるとありがたい。

鯖主 日本人がこういったキャッチコピーが好き、というのもありそうですね。俳句とかって完全にそれですが、そういった短さの中、コンパクトさの中に価値を見いだす趣向は良いなって思います。

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