二郎系ラーメン、あるいはその中毒性についての一考察

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最近、いわゆる二郎系のラーメンを週に一回は食べている。

元々ラーメンもラーメンマンも大好きなのだが、宇宙ラーメンランキングの長い歴史の中では、完全に上位が不動の地位として固まりつつあったので、あえて二郎系には目を向けてこなかった。

私は身の保身からか、新入り・新参者には根拠なく厳しい目を向ける。

こうやってジジイは何事にも既存の物事に無意味な執着をし、どんどん時代から取り残されていくのだろう。

加えて、二郎系を拒絶していたもう一つの理由としては、SNSやネットの記事などで目にするあの「モヤシの山によるまやかし」である。

明らかに見た目には質より量的な印象が強く、見た目のインパクトだけで勝負しているどこかのゴミ拾いプロ宇宙人と同じくらいたちの悪い代物だと思っていた。

こうやってジジイは何事にも独断と偏見で無意味に物事を拒絶し、時代から取り残されていくのだろう。

ところが、である。

車で時々通りかかる某駅前のラーメン屋に毎回行列が出来ていることに気が付き、調べてみると偶然にも二郎系のラーメン屋であることが判明したのだ。

私の「美味しい店は月曜日が定休日」という意味不明なジンクスにも該当し、しかも日曜日まで定休日にしているという強気な姿勢を崩していない昭和感丸出しの頑固一徹親父の店主が一人で営業していると聞いた日にはもう黙っていられない。

ラーメン通の後輩・松浦君の「二郎系ありっすよ!」という強い後押しもあり、今日日ありもしない「のれん」をくぐるようにして店に入ってみることにした。

「兄ちゃん、ドアしっかり閉めといてや!」

と第一声から期待通りの注意をしてくる頑固一徹親父な店主。

キャラ知らんけど。

店内には

「のれん分けは一切行っていません!(頼んでないし!)」

「営業時間の確認の電話には一切出ません!(電話に出な内容分からんやろ!)」

など突っ込みどころ満載で、ネタ振りのような張り紙があり期待は大いに膨らんだ。

「二郎系の基本は全部"ましまし(全部大盛り)"にするんすよぉ!」とニヤニヤしながら隣に座る後輩でラーメン通にして夜遊び通の松浦君のアドバイスに従い、店主から聞かれた項目にすべて"ましまし"なるスラングで対応した。

目の前に出されたラーメンはSNSやネットの記事で見た二郎系のそれと変わりはなく、

「もやしばっかでいつ麺にありつけるんじゃー!」

と同じ表情のスライムばかりを倒す無機質なドラクエの表情でもやしをかき分け、食べ終わる頃には味もよくわからないまま腹八分目という言葉からドロップキックを食らわされる程の満腹感に襲われた。

お腹パンパン、動くのもきつい…。

「だから言うたんじゃ!もう二度と二郎系など食うか!」

と失恋したての松浦君に罵詈雑言を浴びせ、

「だいたい二郎という名の時点で次男坊確定なのだ。俺は長男坊のラーメンが食べたかったんだ!」という当てつけ以外の何物でもない台詞とげっぷを2万回ほどかまして家路についた。

しかし、しかしである。

翌日になると「もう一回食べてもいいかも…」という小さな気持ちが不思議と下丹田から湧いてくるのである。最初はこの気持ちを認めたくなかったが、これが黄昏時になると「もう一回食べたい!」という確信に変わり、

相変わらず職場でキングコングのような歩き方をしている松浦君に「この思いが本物であるか確認したいので今日もう一度あの店に行ってみよう」と先輩の特権で昨夜の罵詈雑言などなかったことにし、第三者の視点が大事だ、という掛け声の下で、自らの離婚劇を「ま、しゃーない!」の一言で片づける元山君を誘い3人で昨夜と同じ店に入ることにした。

「兄ちゃん、ドアしっかり閉めといてや!」と店主に注意される元山君を尻目に、我々は性懲りもなく"ましまし"のラーメンを我が物顔で注文し、

「こ、これ昨日より美味いよな…??」とメガネが曇っているキングコングと顔を合わせて頷き合った。

思えばタバコもそうだった。吸った当日は気分が悪く、もう二度と吸わないと決めたのに気が付けば吸い続けていた。当日、もうやらない→翌日、また欲しくなる、というサイクルは中毒性の共通事項なのかもしれない。

店から出て「ちょっと一服しましょうよ!」と路地裏でタバコをふかすエンペラーペンギンのような髪型になっているキングコングの「この店ありっすねぇぇ!!」という台詞に最上級の理解を示す私に対して、

「あんなもん量が多いだけですやん!」と昨日の私のように憤る元山君がとても可愛く思えた。

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