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最近”スキ”が訪れたのは

日常の中に”スキ”が訪れると、ちょっと、いや結構、気持ちが上向きになる。

最近の”スキ”は、朝日新聞の教育面のコラム、「福岡伸一の新・ドリトル先生物語 ドリトル先生 ガラパゴスを救う」。

2021年4月7日から引用

「わたしのメモも(中略)中には意味のある発見や研究が含まれているかもしれない。
 それを判断するのは、すべてこのあとの歴史なんだけどね。
 とにかく、大事なことは記憶を言葉にして、記録として残す、ということなんだ。(中略)
 もちろん自然のすべてを言葉にすることはできない。けれど、言葉にする努力が大切なんだ。
 なので、スタンビンズくん、きみにもいろいろな言葉の使い方を学んでもらいたいと思う。学問の言葉、文学の言葉、詩の言葉……。(後略)」

2021年4月9日から引用

「(前略)ただやみくもに聞き耳を立てたり、むやみに探し回ったりしても、自然の微妙な差に気づくことはできません。
 自然は絶えず動いたり、変化したりしていますからね。だから観察者は、まず自分の動きをとめなくてはなりません。じっとして、それから静かに耳を澄ませたり、目を凝らしたりします。(後略)」
「(前略)漫然と見ているだけでは自然はその姿を現してくれません。でも、何か一つ手がかりを掴むと、とつぜん世界が変わって見えるのです。(後略)」

私は、世界にあふれている言葉を収集するのも、文章を書くことも大好きだけど、毎日、自分に響く言葉を感知したり、文章が頭の中に湧いてきたりはしない。

引用のように、「自分の動き」がふっととまった時に、自分の中に余白が生まれた時に、そういう瞬間は訪れるような気がする。

コロナ禍が始まった昨年の数ヶ月はまさにそうだったように思う。

ここ最近、「ドリトル先生」の言葉に、スタンビンズくんとともに私がワクワクするのは、なんでなんだろうな。

何によって「自分の動き」がとまったのか、もしくは余白が生まれたのか。

はたまたどちらでもない理由なのか。

この、理由は不確かだけど、でも確実に心が動いている実感(=”スキ”)を言葉にしようと思ったのは、4月7日の引用部分が私の背中を押してくれたからだ。


自分に訪れる”スキ”を全てを言葉にすることはできない。

そしてそれを言葉にする意味があるのか、ないのかもわからない。

それを判断するのは、言葉を受けとった人、もちろん自分も含めて、なんだと思う。

とにかく、私にとって大事なのは、言葉にしていくことなんだ。

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