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『水車小屋のネネ』を読んで

その本を渡してくださった先生は言った。

「内容は重たいところもあるけど…貴女たちなら分かってくれると思って」

出会って13年。
先生との間で交わされてきたのは、論文や新聞記事、ドキュメンタリー映画が主だった。
小説を手渡されたのは初めてだった。

津村記久子さんの『水車小屋のネネ』


子供の頃から知っていた大人と同じ「大人」というカテゴリに入って同等に仕事をしたり、物事を頼み合ったりすることは、知らなかった人と何かやるよりも自分を大人だと感じさせる(後略)


先生と出会ったとき私は、19歳だった。
当時は20歳から成人で、法的にも子どもだったわけだが、実態も充分子どもだった。

それまでと、当時の有難い環境の上に自分が成り立っていることを理解しきれていなかったし、それ故に人に厳しく、謎の万能感があった。

当時の私を登場させれば、きっと反論してくるだろう。
「私だって、私なりに想像力を働かせていた」と。

それでもあれから10年以上経った今、振り返れば、自分の本当の挫折や弱さ、どうしようもなさにまだ出会ってない私は、すごく、すごく子どもだった。

だから今、「貴女たちなら」と先生から小説を手渡されたことは、自分が大人になったのだろうことを感じさせる出来事だった。



そう、先生のもとで学んだ4年間はある意味、私が子どもであった最後の期間でもあった。

そこで、「乙女の祈りはやめなさい(願うだけはやめて行動しなさいという意味)」と繰り返し伝えられたことは、その後の私の進路、立ち居振る舞いに大きく影響したし、

"勉強"ではなく、熱い感情に突き動かされる学びを知ったことは、その後の人生の在り方の基盤になった。

だからこの台詞にとても共感を覚える。

「自分が元から持っているものはたぶん何もなくて、そうやって出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きてるって。だから誰かの役に立ちたいって思うことは、はじめから何でも持ってる人が持っている自由からしたら制約に見えたりするのかもしれない。けれどもそのことは自分に道みたいなものを示してくれたし、幸せなことだと思います」
 律は長い間何も言えなかった。悲しいのでもうれしいのでもない感慨が、自分の喉を詰まらせていることだけが明らかだった。
 陽が落ちきる直前に、それはよかった、と律はやっと言った。本当によかった。


そして畏れ多くも、ご自身の研究だけでなく、学生への教育も担ってくださった先生に、「本当によかった」と思っていただけたら良いなと思う。

自分の子供でもない限り、人間はそこにいる子供を大人になるまで見届けられると思って関わるわけではない。そういうことができた自分は幸福なのかもしれないな、と律は思う。


さらに気持ちを露わにするならば、
先生と私のように私も、
これまで出会ってきた子どもや、
これから出会う子どもと、
その子が大人になってからも関係を編めたら幸せだ。

先生をはじめとした、先を生きる大人と、
それから
のちを生きる子どもと、
関係を編みつづけることができたらきっと、嬉しかったこと楽しかったことだけじゃない、さまざまな相手の生き抜いてきた跡を聞かせてもらう時も訪れるだろう。

山下さんの言葉を聞きながら、聡は手足が冷えて動悸がするのを感じた。山下さんの話に、自分がどんな所感を持ったのか、言葉にするのは失礼なように思えた。代わりに今の自分が強い身体的な反応を持っていることが、山下さんが家族に関して体験してきた苦痛の何かの埋め合わせになればいいと願った。


そういう時、聡のように在りたい。
自分がこれから色々経験を積み重ねて、一見似ている経験をしていたとしても、それを思い出しながら、頭の中にコラージュのように自分の経験を切り貼りながら、きくのではなく。
相手や、相手の見ている世界の解像度をあげるように、カメラのピントを合わせていくようにききたい。




先生、改めて、"ネネ"との出会いをありがとうございました。

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