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加賀楓と解決志向

このたびの加賀楓の卒業にあたり、仲間うちのアンジュルムヲタクと一緒に、改めて彼女の事績について振り返るということをやってみることにした。

ちなみにアンジュルム、こぶしファクトリー、Juice=Juiceを居場所にしてきた自分にとって、加賀楓は常に「視界の隅にいる人」であった。佐々木莉佳子や段原瑠々とは深い絆で結ばれ、広瀬彩海には「加賀楓という感情」を向けられ、「山野一加」唯一の常識人と呼ばれた女ーいずれにせよ「能力、人格ともに優れた凄い人」という印象がそこにはあった。しかし、彼女の凄みとは一体何なのかということに関して、自分はこれまできっちりと向き合ってこなかったように思う。

そして今回の卒業公演に至っても、その反響は驚くほど大きかった。自分は彼女の凄みとは何なのかということに大きな興味を抱き、彼女の発言や周囲の反応を注視し、プロファイリングをしてみることにした。その結果、何人かのハロメンが彼女についてブログに書いていたエピソードから、ある共通の構造を見出すことが出来た。そのうちの二つを以下に抜粋する。


私はパフォーマンスを見て褒めてくださる方も、もちろんありがたいなと思うのですが足りない所などを言ってくださる方は私達のことをとても思ってくださって本当に素敵な方だなと思うんです。
加賀さんが研修生発表会に来てくださった時良いところもここをこうすればもっと良くなると思う!という所も言って下さり本当に素敵な方だなと思いました。
この写真を撮っていただいたとき、ミッションで私の好きなところをお聞きしたのですが
加賀さんが凄く真っ直ぐな目で、私の目を見て真剣に考えてくださったことが本当に嬉しかったです!

ちなみに加賀楓が親切で頼り甲斐のある先輩であるというエピソードを挙げている後輩メンバーは、枚挙にいとまがない。だが、その中でも上に挙げた窪田七海と川名凜のエピソードからは、加賀の「親切」の本質とは何なのかを見事にうかがい知ることができる。

すなわち、加賀楓とは徹底した解決志向の人なのだと思う。

一般に人間の思考パターンには「何が問題なのか?」に焦点を当てる問題志向と「何が解決策なのか?」に焦点を当てる解決志向がある。前者は自他の問題ばかりは思考の中心に置いてしまうことで自己肯定感を下げるばかりか、ゴールとしての解決策を見失ってしまうことが多い。これに対して、後者は思考の中心に解決策を置き、そこから逆算して現在の改善点が指摘される。指摘された問題点の背景には常に目指すべきゴールが提示されているので、指摘された側の自己肯定感が下がることもない。窪田七海が「ありがたい」と感じている点はまさにそういうことなのだと思うし、川名凜が「本当に嬉しかった」と感じたのは、加賀楓が川名の問題解決に真剣に寄り添ってくれたからなのだと自分には思える。

ちなみに、加賀楓のこうした姿勢がここまで歓迎されるということは、窪田七海や川名凜も少なからず「解決志向」の人間であることを意味しているのだろうし、実際「解決志向」は加賀に限らずハロメン全体の文化ではあるとは思う。だからこそ、その中でより突き抜けた解決志向を持ち合わせたメンバーである加賀があそこまで慕われ、敬愛されるのだろう。少なくとも自分にはそう思えた。

実際、加賀は今回の卒業に当たり公演中の卒業挨拶は行わず、スタッフ、メンバー、ファンに対する言葉を過不足なく事前にブログで綴るという形で、卒業公演では徹底してパフォーマンスに集中した。その意味で今回の卒業公演は「モーニング娘。」としての彼女の「過去」の集大成でありながら、純粋なパフォーマーとしての彼女の「未来」が既に始まっているのだと自分は感じた。

今回、藤大介氏の記事を読むことで、加賀楓がいかに規格外のパフォーマーであるかを知ることが出来た。そんな彼女がモーニング娘。を卒業した。だが、彼女は未だにアップフロントの所属には留まっている。そして自分はそこに大きな可能性を感じている。すなわち自分が一年前の下掲記事から論じている、M-line活性化の可能性である。

現在のM-lineには、宮本佳林、小片リサと、着々と歌唱メンが集結し、グループ活動時代の矩を越えた活躍を見せ始めている。だが、佐藤優樹、稲場愛香といったダンスメンはまだ目立った活動をしていない。ただ、その理由も何となく理解できる部分がある。ダンスメンは歌唱メンとは異なり、ある程度の頭数が揃わないとショーとして成立しにくいところがあると思うからだ。

だが、ここに卒業後の「修行」の旅を終え、さらにパワーアップした加賀楓が加わったらどうなるだろうか?

佐藤優樹と稲場愛香に加え、三人いればダンスパフォーマンスの厚みとしてはもう大丈夫だろう。時期的に考えれば、さらにここに加わるかもしれない未来のOGの顔も何人か想像できる。さらに加賀楓であれば、熱狂的なファン層をM-lineに引き連れてくることも可能になる。パフォーマンスの質が変わり、興行規模も激変するだろう。さらに言えば、ハロプロ本体とは異なった客層を従えた新しい生態系をM-lineが創り上げることも、夢ではないのではないか。

現在のモーニング娘。が抱える構造的な問題については、以前上掲記事で指摘した。だが自分はその点についてはあくまで「問題志向」に留まり、具体的な解決策は一切提示していない。まあ、完全な部外者であるばかりか、モーニング娘。のヲタクですらない自分が提示する「解決策」など笑止千本な話ではある。一方で当事者である加賀楓がモーニング娘。から卒業するという「解決策」を提示した以上、おそらく件の構造問題は解決不能なのではないか、という見立てを自分は既に抱いている(とやかく言われがちな譜久村聖の言動に関しても、彼女の属人的な問題というよりは、大きな構造問題の一環でしかないのだろう)。そしてそうであるならば、解決不能な問題に焦点を当ててとやかく愚痴を言い続けるというのは、極めて非生産的な行為にしか見えないのである。

なので、自分はあくまで加賀楓の解決志向に従い、彼女の未来に焦点を当てたいと思う。彼女はモーニング娘。の歴史は変えられなかったかもしれないが、彼女がハロプロの歴史を変えるとすればこれからである。今回、彼女にはそのポテンシャルが十分にあるという結論に自分は至った。だとすれば、アンジュルムとJuice=Juiceのヲタクである自分も彼女を応援するしかない。私が今応援しているアンジュルムやJuice=Juiceメンバーの将来も、彼女の動向に大きく左右される部分があるからだ。

一方で少し気掛かりな部分もある。先ほど自分は加賀楓のポテンシャルの一環としてその動員力を挙げた。だが、この夏以来延々と続く騒動からも見られるように、加賀の連れてくる客にはいわゆる「愚痴垢」が混じっているようなのだ。ちなみに自分は「愚痴垢」が本当に加賀の「ファン」なのか、あるいは本当に譜久村聖の「アンチ」なのかという点に関しては、実に疑わしいと思っている。「愚痴垢」が加賀をアゲたり譜久村をサゲたりするのは、全て彼ら彼女らの抱える個人的な問題の投影でしかない、というのが自分の見立てであり、実際に「愚痴垢」の言動からは明白な人格障害の傾向が看取される。ところでこの人格障害者というのは「極端な賞賛」と「極端なこき下ろし」を行き来するもので(言ってみれば「問題志向」の人のなれの果てのようなものだ)、安定的なファン層としては当てに出来ないものなのだ。しかし人格障害を克服するには膨大なカウンセリングコストを投入する必要があり、それが大人数ともなってしまえば(愚痴垢を物理的に消滅させでもしない限りは)その解決はほぼ不可能に近い。つまり、今回加賀がぶち当たったモーニング娘。の構造が「解決不能」であるのと同時に、愚痴垢の方の問題も「解決不能」なのである(あるいは、そうした層をファン層として抱え込まざるを得なかったこと自体が「モーニング娘。の問題構造の一部なのかもしれないが)。

だとすればそこに拘泥してあれこれ憂い続けるのもあまり生産的ではない。「変えられるものと変えられないものを選別する知恵を授けたまえ」という有名な文言もあるが、幸い私のnoteの読者層には可塑性の高い人が多い。私のように大した知恵がない人間でも、愚痴垢連中よりはそうした人々に働きかけるのがよいということは簡単に分かるというものである。この記事を読んでいる方の中で、まだ加賀楓という人についてよく知らないという人のために、柚樹ログさんが苦心して作成してくれた全3部にわたるまとめ記事を紹介したい。これを読めば、加賀楓という人がいかに大きなポテンシャルを秘めた存在なのかがよく理解できるだろう。そのことで、当てにならない愚痴垢などに頼らずとも彼女の未来の動員力に少しでも寄与することが、私が提示しうるささやかな「解決策」である。

追記:譜久村聖の言動について

ちなみに譜久村聖の言動についてであるが、ヲタク側からは全てが見えているわけではなく、結局は邪推になってしまうのだから、自分はメンバーに対しては「疑わしきは罰せず」の原則を貫いている。なので今回は彼女の意図ではなく、単純に今回の彼女の言動が持つ「機能的側面」についてのみ、少しだけ触れたい。

結論から言えば、今回の彼女の言動には拙劣さが否めない。その理由はただ一つで、アンチに「好子」を与えてしまっているのである。加賀楓卒業公演のブログにしても、自分は彼女の加賀楓に対する悪意というよりは、アンチの顔色を窺った自己弁護が底流にある点が非常にまずいと思った。インスタのストーリーを批判されたので一旦消して上げ直したというのも非常にまずい。そのことによって「自分はアンチの顔色を窺って動きますよ」というメッセージを発信してしまっているからだ。

モーニング娘。リーダーにしてハロプロリーダー様が、惨めったららしい愚痴垢の掌で踊ってくれるのだから、分不相応なプライドだけは強い連中にしてみれば、珍しく全能感を手にするチャンスであろう。赤ん坊が愚図る時には下手にあやすと「愚図れば相手してくれるんだ」という学習をして、もっと激しく泣き叫ぶというあれである。赤ん坊を黙らせる最も効果的な手段はただ一つで、泣き叫んでも相手をせず、ひたすら放置することである(=好子の消去)

あるいは「泣く」という行動を「弱化」させるための「嫌子」を与える(たとえば愚図るたびに電気ショックを与えるなど)という手もないわけではないが、これは発達心理学上あまり好ましい手段ではない(そんな風に外傷的に育ってしまった人が大抵心を病んで愚痴垢になるものである)。ただ、既に出来損ないとして育ってしまった成人に対しては対症療法としてある程度の「嫌子」も必要である。法的措置を匂わすというのはそれだし、愚痴垢のツイートを公式で吊し上げる(そのこと自体は法的になんの問題もない)というのも一つの手かもしれない(もっとも、吊し上げられた者がある種の殉教者として英雄扱いされてしまうという倒錯した事態も生じるかもしれないが…)。

元々あの事務所はそうしたある種の動物行動学的スキルに欠けるところがあり、グループに何かトラブルが発生した時はメンバーがその部分をカバーしてきた。その点、たとえば竹内朱莉、川村文乃、植村あかりといったお歴々に比べると、譜久村聖のスキルはどうしても一段落ちるものに見えてしまう。ただ、そのことが今の「ハロプロ」というものを見事に体現し、まさにその間抜けさに魅力を感じる人々が支持層の中核に存在していることも事実なのである。

さらに追記記事を書きました。


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