見出し画像

[No.4]20年、フリーライターやってます~ライターになるまで~その3~自信満々で飛び込んだのに…

30過ぎ、子持ち専業主婦。特技なし。コネなし。友だちなし。マンションの一室で一人密室育児に明け暮れ、この生活から抜け出すためになんとしてでも仕事を得たいと思った私は、フリーライターになるべく出版社に売り込むことを思いつきます。

なぜライターかというと、書くことが好きだったということもあるのですが、「元手もいらず、鉛筆一本でできる」となにかで読んだから。一応美大を卒業していて、MackintoshでDTPデザインもできたのでデザイナーという道も考えたのですが、当時はOSもアプリケーションも1年もたたずにバージョンアップを繰り返していて、その都度ソフトばかりかプリンタやスキャナーなど周辺機器も買い換えねばならず、出費がハンパなかったのです。

それともう一つ、フリーランスを目指した理由があります。

話が前後しますが、私は第一子出産の数か月前に会社を辞め、その後一度、縁あって再就職をしたことがあります。夫婦二人で経営している小さな編集プロダクションでした。社長は、前の会社にいたときに何度か会ったことのある人で、新規事業を始めるので手伝ってほしいと言うのです。

子どもはまだ生後10カ月。育児だけで精一杯の私が会社勤めなんかできるはずがない。躊躇する私に社長は言いました。「妻も育児と仕事の両立を経験してきたから、いいアドバイスができるだろう」と。

電話口に出た社長の奥さんは、「子どもが1歳になってから、3歳になってから、小学校に入ってから、なんて言ってたら一生復帰できないわよ」と私を叱咤し、保育園の探し方から手続きの仕方に至るまで丁寧に教えてくれました。

その人がいなければ、私は専業主婦のままだったでしょう。指示どおり、無認可の保育園をなんとか見つけ、私は仕事に復帰しました。

「ああ、また働けるんだ!」
久々にスーツを着て電車に乗ったときの誇らしく嬉しい気持ちは今も忘れることができません。

それなのに、私はその会社を、1年足らずで辞めてしまいました。この顛末は、あとで書こうと思いますが、仕事と育児の両立は過酷のひと言に尽きました。

あれだけよくしてくれたのに続けられなかったのだから、もう会社員として働くのは無理だろう。でも、仕事はしたい。となると、残された選択肢はフリーランスしかありません。

大げさですが、気分は背水の陣。

度胸のない私が飛び込み営業をできたのも、後がなかったから。

さて、車雑誌の売り込みに敗れた私が次に訪れたのは、あるファッション雑誌でした。

数あるファッション雑誌の中でもその雑誌は、ファッション記事よりも文芸や評論など文化面が充実していて読みごたえがありました。他のファッション雑誌には興味はありませんでしたが、この雑誌には書きたいと思いました。

で、ジーコジーコと(古い!!)編集部に電話をかけると、男性が電話口に出ました。
「えっと、あの、企画を持ち込みたいのですが、そういうのご担当している方はいらっしっしゃるでしょうか……」
みたいなことを言うと、
「私でもお聞きできますが」
と、これまたあっさりアポが取れました。

あとでだんだんとわかってきましたが、編集者という人種は好奇心が強く、常にネタを求めているので、こんなへんてこな電話でも案外厭わず聞いてくれるのです。もちろん迷惑がられることもありますが。

数日後、数ページの企画書と2000文字くらいの原稿を携えて編集部を訪ねました。相手は30になるかならないかの若い編集者でした。

私が全くの未経験者だということを確認すると、彼は私の持って行った原稿に一瞥もくれず言いました。

「文章がうまい人なんて掃いて捨てるほどいる。大事なのは取材力です。あなたは取材ができますか?」(つづく)

2015年01月11日「いしぷろ日記」より転載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?