見出し画像

時間とは何か!?

今日は「時間とは何か」というタイトルの4分の短い動画が流れてきました。短いながら、ぐいっと本質に触れていて力強いメッセージだと思います。

ポイントをメモしながら、自分なりに感じることを言葉にして書いてみようと思います。

時間は自分自身に直接関わってくるからわかりにくい
時間は自分が自分のことを考えるということ
自己言及する意識が働くというのが時間である。

「見ること」と「見られること」の時間の違い

本来的自己がいるところに「見る」がある
非本来的自己がいるところにあるのが「見られる」

「見ること」は虚時間であり4次元空間
「見られる」ことは実時間であり4次元時空

4次元空間における時間は「持続」
4次元時空における時間は「流れる時間」



ユダヤキリスト教的世界観においては、時間は始まりがあり、終わりがあるものとされるけれど、実際の時間はそのようなものではないということは、ビッグバンはなく、宇宙は循環しているということでもあります。とても刺激的です。

本来の時間には始まりも終わりもない。
その本来の時間を人間は見失っているのではないか?
「持続」としての時間を取り戻そうということ。

虚時間とはある意味永遠のことであり、中今という境地でもあります。それは何かに夢中になっているときに、時間を忘れるということでもあり、その本来的自己意識を取り戻したときには、時間に追われるということはなくなる。なぜならそういうときには時間そのものになっているからです。

時間に追われているときの時間は「流れる時間」であり、その時、意識は4次元時空の中にいるということ。人間はそのような時間の中で生きているのはないということに気づきましょうといってるわけですね。人間は時間として生きているのであって、つまり人間とは時間のことなのだということです。

本来の自己の居場所は4次元空間であり、時間は永遠であり、それは持続としてある。

そのような時間概念においては円環の時間が流れているということになり、始まりも終わりもなく、繰り返し循環します。

そのような自己の有り様を見いだせたとしたら、確実に社会に対する自分自身の向き合い方も変わるだろうと思われます。社会に従属する自分というよりは、社会を創造する意識になるでしょう。社会は自分自身に他ならないんですよね。

ヌーソロジーではこれから変換人の時代に入り、人間はヒトに意識進化して行くと言っていますが、そのための鍵になるのが、この時間概念の変化だと思います。

そのために、4次元時空にいる自分と、4次元空間にいる自分の違いをちゃんと理解することが大事な一歩なのかも知れません。そこにとても大事な差異があるわけです。

もっとわかりやすくいうならば、誰かから見られている自分=社会的個であり、そこには役割や名前があります。しかし見る自分=精神的個であり、何かに夢中になっている自己には名前も年齢も肩書きも関係ないということになります。

そういう視点でホロスコープを眺めるとしたら、ホロスコープの意味も変わって見えてくると思います。ホロスコープはまさに持続としての自分自身を表わしているものですからね。

ホロスコープは魂の表れであり、ホロスコープを読むということは、魂に触れるということなんだということでもあると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?