見出し画像

水星と冥王星のコンジャンクション~踊りの先生との出会いと決別についての考察

先日、ノーアスペクトについて書いたときに、僕の土星と踊りの先生の太陽がコンジャンクションの関係であったことを書きました。これです。↓

その時には、ノーアスペクトという観点からの考察だったので、先生の太陽に対して、僕のノーアスペクトの土星が反応したことをメインのように書いたのですが、少し時間をおいて、冷静に見ていくと、僕が先生の踊りに惹かれたのは、他の要因もあったのではないかと思うようになりました。

3つのコンジャンクション

僕と先生のシナストリーを見ると、タイトなコンジャンクションが三つあります。

僕の土星と先生の太陽。
僕の月と先生の土星。
僕の水星と先生の冥王星。

それぞれについて少々考えてみました。

内側が僕、外側が先生


僕の土星と先生の太陽のコンジャンクション

細かく見ていくと、この場合、土星側が太陽の面倒を見ずにはいられないというような関係性になるんですね。太陽は土星の意見を無視できず、太陽が土星を信頼する場合、決断力を増すし、土星は先手先手と段取りが上手。土星が太陽の面倒を見るというような関係性にもなるようです。

そして太陽の社会性のなさに対して、土星はだんだんと見えていくところもあり、年を経るに従って、舞踏家としての尊敬の気持ちが薄れていくような感覚になっていったかもしれません。

ほんと、いろんなことが思い出されますが、この僕の土星と先生の太陽とのコンジャンクションは、僕が先生のフォローをするというような関係性もあったと考えることもできそうです。

僕の月と先生の土星のコンジャンクション

次に見てみたのは、僕の月と先生の土星のコンジャンクションです。

この場合、土星は月のことが何かと気になるようです。未熟な月を導こうとするようなことでしょうか? 月は土星の指示を無視することができず、月は感情を制御して土星に従います。

うまく回っているときは建設的な関係性と言えますが、噛み合わなくなると、土星は月を完全に管理しなければ気がすまず、月は土星をストレス源と見なします。

こちらのコンジャンクションでは、僕の月が先生の土星に指導されるというような関係性を示しています。先生に対して尊敬の気持ちがあるときには、その関係性はWin-Winだったと思いますが、やがて月が土星を強圧的なストレス源という認識を持つようになったという事だったかも知れません。それはそれで、なんだか、わかるような気がします。

僕の水星と先生の冥王星のコンジャンクション

もうひとつのコンジャンクションは、僕の水星と先生の冥王星です。

これはサインとしては獅子座にあるので、僕の水星は熱く乾いたブルーオーシャンに乗り出して、新しいことをどんどん吸収し学ぼうとする意欲が旺盛なタイプです。

この特徴は、今もそうだと思います。どんどん新しい分野に挑戦して、知覚、認知、識別能力を伸ばしたいと考えるタイプです。

あのとき、バリ島の踊りを習ってきた人がいるという話を聞きつけて、わざわざ見に行ったのは、まさにその水星の持つ好奇心によるものだったと思います。

先生の冥王星が僕の水星とコンジャンクションしているということから、考えられることは、冥王星のカリスマ性と洞察力の影響を受け、水星はとても刺激を受けただろうということです。

先生の踊りを見たときに、ガツンと金属バットで頭を殴られたかのような大きなショックを受けたという表現をしたことがありますが、それが示しているのは、この水星と冥王星のコンジャンクションのことだったと言えるかもしれません。

この水星と冥王星が協力関係を築くと霊視か魔法かというようなことが起こると書いてありましたが、たしかに僕は先生との関係性の中で、踊りの魔術的側面や、ヨガやら、カバラやら、仙人になる方法であるとか、透視的な経験などを積ませてもらったと言うようなところがありました。

先生自体、霊的な力を持っていることを否定しませんでしたし、たしかに先生の周りには不思議な現象がたびたびあったのです。すぐ近くでそうのような現象を目撃しましたし、自分自身も似たような感覚があったので、先生との関係の中で、いつの間にかそのようなことについて、学んでいたのかもしれません。

とはいえ、ちゃんとした大系に基づくようなものではありませんから、よくよく考えたら危ないですよね。

関係性は変化していきます

だんだんと僕の土星は先生の有り様に疑問を感じることも増えていきましたし、反発もするようになっていきました。そして、ある問題に関しては、先生の権威の前に屈服せざるを得ないというようなこともあり、最後の数年は、屈折した形での先生と生徒という関係だったかもしれません。

ノーアスペクトの記事の中でも書きましたが、先生と僕のシナストリーには地サインのグランドトラインがあります。踊りのグループという、守りたいものがあり、そのことが僕にとってはやはりとても大事なことだったのだということを、今さらながら思います。

それは守らなければならないものであると信じていました。そのグループをやめると言うことは、踊りをやめると言うことであり、それは唯一の生きる意味を放棄することだと思うくらいの信じ込みだったのかも知れません。

それ故に、先生の意向と僕の意見がずれたときに、自分を押し殺すということを選択したということがあったと思います。それはジレンマでしたが、その時にはそれしかないと言う感じだったですね。

先生と袂を分かつ

そういうことですから、先生と袂を分かって、踊りをやめますと言ったときには、それはとても大きな一歩を踏み出したときということになります。そして、それを可能にしたのは、ビジョン心理学であるとか、キネシオロジーであるとか、新しい分野の仕事を始めようとしたという事と、新たな土星との出会いだったのかも知れません。

パートナーと僕の間には、アスペクトは少ないのですが、その中でも最もタイトなアスペクトが、僕の太陽と彼女の土星のセキスタイルです。オーブ0°でアスペクトしています。

この土星は太陽に対して意見してきますし、あらたな視点をもたらした存在ということは言えるのかも知れません。なので、やはり強固なグランドトラインを壊して、新しい世界にこぎ出そうとしたことも、大きな変化ですね。

それは2003年くらいのことだったかなと思います。

プログレスの月

ここまで来て、気がつきましたが、2003年に僕のプログレスの月は新たなサイクルを始めています。そのことについては、こちらで一度考察していますが、その時には先生と袂を分かったときのことは頭に浮かんできませんでした。

今、この段階で振り返るならば、2003年にプログレスの月が1室に入ったということは、踊りのグループをやめ、先生と袂を分かつという決断をしたということと関係しているのかも知れません。

あそこから、あたらしいサイクルが始まり、今そのプログレスの月は9室にいるわけです。そういうことなのかと思い至り、ちょっと驚いています。たしかに世界情勢とかも関係しているでしょうし、いろんな情報に接したという事も関係していると思いますが、やはり、個人的に先生と袂を分かったということはどう考えても、かなり大きな出来事だったと思います。

今、こうして水星を鍛えて、占星術という新しい挑戦を始めようとしているのも、そこから始まった一連のサイクルと言ってもいいのかもしれません。

ちなみに、今この瞬間の三重円を出してみたら、トランジットの金星が僕のネイタル太陽にコンジャンクションしていました。そして、その真向かいにはトランジット土星がオポジションしています。

なんだか、楽しみなさいよと言われているような気がしました。

今、こうして踊りの先生との関係性について、振り返っているということも、その一環なのでしょう。たぶんとても大事なことなのだと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?