「スロー」ということ
Facebookでこのような記事を見つけました。世阿弥の時代、能は今の2~3倍の速さだった。というものです。
この中の研究者の文言はまったく興味はないのですが、ゆっくり動くということに関しては言いたいことがあるので、今日はそのことを書いてみようと思います。
ゆっくり動く(スロー)ことは微分につながります。
細かく微分するほどに、小さくなって、最後にはプランクスケールに限りなく近づいていき、そこに近づけば近づくほどに、永遠が見えてきます。
いわゆる時間が流れなくなって空間は極小に縮まるということを体験するわけです。そこで発見するのが、器官なき身体だと僕は思っています。そしてヌーソロジーではそれを素粒子の中だと言っているわけです。
これをやったことのある人は、知ってると思うんだけど、このときの人間を外から見ると、人間っぽくなくなります。いわゆる妖精とか、妖怪の類いの存在感を持つようになるんですよね。
バリの踊りとは別に、能のシテ方の先生のところで、仕舞いを習ったことがありますが、その動きはまさにスローでした。
力をためるというのは、意識的にやることではなく、その形をやれば自然と貯まるモノなのです。
そのカタチを意識して、田んぼに入り、草取りをしていると、もの凄いハラができてきます。
日本人が強かったことの秘密は、そういう所にあったのだと思うのだけれど、今はみな速くなって、腹ができる場がないというのは問題でしょうね。
それにしても、昔の能はもっと速かったというのは、面白い発見です。昔の人は、ハラができていたでしょうから、あえてゆっくりとそこを鍛える必要もなかったのでしょう。
能という装置の中にハラを作るためのノウハウが隠されてきた保存されてきたような気がします。
でも今の能よりもっとスローなのが、原初舞踏だったりします。
そのあたりはこれからもうちょっと掘り下げたい分野です。そのうち、そういうことをシェアできるような場を作っていくというのもあるのかも知れません。
このあたりも、トートタロットの世界観とも通じるところがあるんですよね。これから、いろんなものを自分なりに混ぜながら、自分の世界を発信していけたらと思います。
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