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ネイチャーからフィシスへ「ヌーソロジーの見る未来」

今日はこちらの動画を見ました。ヌーソロジーの見る未来ということで、この先目指すべき方向性をについて語っておられます。未来妄想と言いながら、とても参考になる話だと思いました。

聞きながら、その概略をメモしてみました。メモすることで理解が深まるので、たまにこうして動画を見ながらメモを取ります。


まず最初にヌーソロジーを理解していくことで、何ができるのか、何が変わるのか、そういう話から具体的な社会ビジョンを語っておられるという感じですね。

人間型社会から、トランスフォーマー型社会への変換はどのように進むのか、おそらくゆっくりと重なりながら、50年くらいかけて変化していくのではないかとのこと。

トランスフォームの3段階の変容

1.Worldview Transformation(世界観の変容) 
2.Self Transformation(自己認識の変容)
3. Social Transformation(社会認識の変容)

ワールドビュートランスフォーメーションとは
NatureからPhysisへの変容
物質的自然から霊的自然への変容

フィシスとは古代ギリシャ人が自然と読んでいたもの
人間自身も自然の一部として内的につながっているもの

科学者が自然と見ているものがネイチャー
人間は外にいて、自然をコントロールする

フィシスは4次元空間を土台としている
ネイチャーは4次元時空を土台としている
フィシスとネイチャーは互いに反転している。

だから、空間も時間も二重化していることが認識できるようになってくる。

Bispacial Perception(空間の二重知覚)
Bitime Recognition(時間の二重認識)

両刀遣いになるということ
=変換人(トランスフォーマー)

幅空間と奥行き空間を差異化する意識が出てくるということ。

延長的な時間、時間の流れとして感じている時間
奥行き側には流れない時間がある=持続

時間の二重認識においては、流れる時間と流れない時間と二つ見えてくる。
流れない時間は物の内部にある。

モノの内部にいるという感覚が出現して来るという筋書き
それがフィシスという世界が出現してくるということ


フィシスの空間構造を先導してきてるのが、量子力学や素粒子物理学である。量子の世界はもう物質の世界ではない。

物理学者もわかってきてるんだけど、相変わらず時間と空間の中で見ようとしているから、壁になってしまっている。

素粒子は物理的対象としてみるものではなく、自分自身の持続とダイレクトにつながっているわけだから、自分の精神構造として見ようとしているのがヌーソロジーである。

ファクトフルネスに従っていると言えるのではないか? 科学的姿勢を持っているといっても良いのではないか?

霊性のフィシスの世界を知性の力によって再現していく

人間中心主義から自然中心主義への移行ということを意味している。

人間中心主義は一神教が起源であろうと思われる。
神におまえが自然を納めよと言われた。

これをやめようと言ってる。
ろくなもんじゃないから。
自然主義にしよう。フィシスに戻ろう。

人間中心主義への批判はポストモダンの骨子
モダンは終わろう。
人間が我が物顔で振る舞った時代を終わらせよう。
ソーカル事件などをとおして、ポストモダンが失墜。
またモダンが復活して、デジタルモダンになってしまった。
テクノロジーを通したモダンへの「退行」と言える
AIの台頭。
デジタルモダンはますます人間中心主義を強めてきている。
左脳的なところをコンピューターに置き換え、AIと接続。
人間もそこに支配されていく。

資本主義機械という無意識機械が動いているから、それに見合った人間が生産されてきて、消費機械としての人間が生み出されてきた。

ぼーっと生きている人間。
無意識の消費活動。
人生は物を買うことである。
教育もそのための教育となっている。
悪夢は終わらない。

人間中心主義→コンピューター中心主義
自然中心主義にどうすれば戻せるか。

新しい世界観の構築

今のままならメタバースに入っていくことになる
選択肢を作らないといけない
トランスヒューマーではなく、トランスフォーマー型社会へ

それができてくればセルフトランスフォーマーも可能
心理変容から行動変容

自己感覚が弱まっていく
自分は物の中にいる

肉体の中にある自己感覚よりも、物の中にある自己感覚の方がだんだん強くなっていく
物の中にいる自分というのも把握できるようになってきていく
そうすると心理の変容が起こってくる

いい加減なだらしない人間だったのが、ビシッとした人間になってきた 行動変容が起こった

自我意識が弱まり、超自我に自己性を感じるようになってくる
超自我=社会意識

フィシスが立ち上がってくる
動物も、植物も含めた自然の中の社会意識
生態学的社会意識

普通、超自我というのは個を抑圧するものとして出てくるけれど、フィシス側から超自我が立ち上がってくると、能動的な超自我となって、公共意識が芽生えてくるとも言える。

これが高次の自己意識の確立と呼んでいいものではないかと思われる。社会認識につながってきて、社会的な意識の変容(Social Transformation)が起こる可能性ができてくる。

そういう意識に目覚めた者たちがフィシスにおいて社会を作っていく、そういう意識に切り替わってくる。工事の自己意識を持った者たちによる共同体生成という感じ。

ここで社会をイメージしていくと言うこと。

昔のDeep Ecologyとシャロウエコロジー

エコロジーは欺瞞だらけ、SDGsも欺瞞だらけ
電気自動車は製造するときにたくさんのCO2を出すし、有効とは言えない。リチウム電池の処理問題も解決していない。レアメタルもたくさん必要になってくる。資源採掘の環境に対する負荷は計り知れない。強制労働問題も含めて。

嘘だらけのエコロジー

ディープエコロジーはそういうものではない。
問題は自分の中にあるという考え方。
自然コントロール、大量消費、消費経済を終わらせ、欲望から出るべきであるということ。大いなる自然に接続した自己を見いだすべし。質素な生活でじゅうぶんであろう。内的な性質を変えていくべきであるというのがディープエコロジー。
者の消費を減らしていく
精神の方向に価値を見いだしていく方向
その方向に経済をむけていく
欲望を内側に向けていく
自己変革の欲望
自分を深く見直すことで宇宙とつながる
そういう精神的充足

具体的なイメージが作れていなかったので、市民権を得られていなかった。

田舎に引越し、自給自足して、質素に生きるというようなことになってしまう。小さなコミュニティはできてもマイノリティにすぎない。社会全体でそういう方向に向かうためには世界観の変換が必要。科学的世界観の中ではディープエコロジーはむずかしい。

デジタルモダンのあと、ポストコンピューターの時代には、本当のポストモダンがやって来るだろう。近代的な人間の理念とか、社会の理念とか、世界の理念とか、そういったものが消え去って行く時代がやって来ると思っていて、そこで出てくるフィシス的な世界を中心とするものは、一種のアニミズム的な世界になると思われる。古いアニミズムではなくて、新しいアニミズムなので、ハイパーアニミズム(新しい自然信仰)と言う呼び方が好き。

森とか動物とかのイメージではなく、生命となるとみんな物質と生命との間で分けてしまうけれど、根底から間違っていると思っている。生命は物質から始まっている。有機物的な体制ではなくて、非有機的な生命観というのを作らないといけないと思っている。だからヌーソロジーは素粒子が人間の無意識構造であるということ、人間の魂の構造であると言うことを言っているわけ。素粒子の時点から生命は始まっていると考える。そういう考え方に変わったときに、フィシスなる者が現われる。

二つの空間を視ることができるようになる
二つの時間を感じることができるようになる
そこに本来の自然(フィシス)が現われる


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