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「あるヨギの自叙伝」から「トートタロット3枚引き」×「キネシオロジーのセルフセッション」という掛け算

あるヨギの自叙伝

今日は「あるヨギの成功の黄金律 パラマハンサ・ヨガナンダ著」を読みました。この本は「あるヨギの自叙伝」の復刻版だそうです。

先日の仙道のことを調べていたときに、「あるヨギの自叙伝」をおすすめしているブログがあり、前から読んでみたかったというのもあって、こちらの復刻版の方を購入しました。

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このタイミングで読んで良かったなと思います。

これから新しく仕事を立ち上げようと思っているわけですから、何のために仕事をするのか、何がしたいのか、何が最優先で大事なことなのか、シンプルに伝わってきました。

アメリカでヨガを広めた方なので、いろいろアメリカナイズされていますが、それだからこそ日本人的にもわかりやすいのだと思います。

スティーブ・ジョブズが若いときに、インドを旅行しているときに読んでいたと言われていますが、たしかにビジネスを奨励してますし、その方法についての示唆もありますし、なるほどと思いました。

ちょっとビジネス書すぎるようなところがあって、ところどころあれ?っていうのもあったけれど、基本的にこの本の言わんとする人間のあり方というような所に関しては、共感できるところがたくさんあり、読んでよかったと思います。

もっと瞑想しようと思いました。そして、ちゃんと仕事として立ち上げようと思いました。


読書後のスリーカードスプレッド

この本を読んだあとで、トートタロットの3枚引きをしたところ、このようなカードが出ました。

1.未来 魔術師
2.ディスク7 Failure
3.ソード3 Sorrow

本の中で、恐れについての記述があり、失敗癖を直すという章があったりもして、ネガティビティに対して、向き合うべきことと、その対処法というようなことがたくさん書かれていました。

そして、先日来、何度か出てきたディスクの7、Failureですから、やはりこのタイミングで、しっかりと掘り下げた方が良さそうです。過去はソードの3、Sorrow 悲痛ですしね。


キネシオロジーのセルフセッション

ふっと、昔やっていたように感情のバロメーターを調べてみると、「選ぶ/選べない」「純粋な ありのままの/打ち負かされた」「本質的な/途方に暮れて言葉が出ない」というような感じでした。

それで何だろうなあと思って考えていたら、15年くらい前にあった、ある人とのトラブルのことを思い出しました。

その時には、僕の感覚からすれば、気持ちを誤解され、非難され、一方的に謝罪を要求されたのでした。理不尽だと思いましたが、その人自身、普通に話ができる状態ではなかったので、これはもう無理だなと思って、言われるがままに謝罪して終わらせたということがありました。

そのことを思い出したら、どよんとした気持ちになったので、ビンゴだと思います。

今何ができるか、調べてみるとクロスパターンがいいのかも言うので、しっかりとその場面を思い浮かべながら、一人でクロスパターンの運動をしました。

年齢遡行は必要かと問うと、いるというので、何歳に行くのかと問うと、3歳とのこと。関係者はと問うと、父と母。

まぁ、3歳で関係者、父と母で、選べない、打ち負かされた、途方に暮れて言葉が出ないわけですから、おそらく父と母の喧嘩が勃発した中で、なんとかしようとしたけれど、打ち負かされたんでしょうね。そんな場面だろうという気がしました。

いずれにしても、興奮して、ストレス状態になっている人に理性的な物の見方を求めても無理なんですよね。

3歳の時のことと、15年前のことと共通なのは、そういうことかと思いました。そんなとき、何ができるのか、僕は結局押し黙るしかなかったのかも知れません。

それは、15年ほど前の出来事の中でも、そうだったなと思います。それ以上闘いたくなかったし、徹底抗戦したくなかったので、謝罪して終わらせたのだけれど、結局、いかんともしがたい罪悪感を残してしまってるよということだと思います。

これを持っている限り、人と関わる上で、またそんなことになりたくないという意識が、無意識に働くのかも知れないと思います。動こうとしても、無意識にブレーキを踏んでしまうというようなことですね。それはやはり、このタイミングで手放せたらと思います。

まずは3歳の自分を見てみると、固まっているようです。絶望的な気持ちになってる感じですね。

ここで、必要なのは、おでこに光を当てるということだったので、懐中電灯でおでこに光を当てます。おでこに光が当たると、なんだか身体がふわっと軽くなって、目の前が明るくなった感じがします。

父とは母は相変わらず喧嘩しているけれど、まぁ、二人の問題だし、放っておこうという余裕が生まれた感じになりました。

15年前の場面に戻ると、その相手が必死にしゃべっているのをただ黙って、聞いていました。何とかしようという気持ちがなくなっていたので、ただただ、この人はきっとご自身のご家族との関係でかなりのトラウマを抱えているのだということがありありと見えてきました。

そう思って聞いていると、どうしようもない行き場のない怒りをどこかで吐き出さないと、この人自身もう立ち上がれないくらいに傷ついているのだということが見えたので、怒りを出せて良かったねと思いました。その方も、ご両親との間に大きな問題を抱えておられたんですよね。

その現場からは少し距離ができて、余裕が生まれたので、イメージの中で、その人のおでこにも光を当ててあげることにしました。しばらくすると、その人は泣き出しました。そしてつらかったということを話し、見捨てられたという分離感にスイッチが入ったので、戦いモードになったのだと言いました。

分離感の上には恐怖があります。そして、さらにその上には怒りがあります。その人の怒りは見捨てられたという小さい頃の恐怖を、もう二度と経験したくないと言うところから来ているもののようでした。

そこで何ができるのかと聞いたところ、任脈・督脈の経絡の修正と出たので、身体の正中ラインを何度もフラッシングしてあげました。僕自身も任脈督脈をイメージして、小周天のように気を回しました。

他にやることはと聞くと、それでいいというので、今どんな気分と聞くと、なんだかすっきりしたとのことだったので、いろいろあったけど、こういう縁というのもあるんだろうねと言って、今現在に戻ってきました。

とりあえず、こんな感じかな。終わっていい?と聞くと、まだダメで、何が必要かと思ったら、魔術師のカードを見て、そのエネルギーを感じて、深呼吸するということだったので、そうしました。

魔術師は「どう、気分は? これも魔術みたいなものだよね。」と言い、笑っています。たしかにこれも掛け算ですね。掛け算によってできる錬金術だと思いました。

魔術師

ここであらためて気がつきましたが、魔術師って裸だったんですね。今まであまり気にしてなかったけど、裸なんだと思うと、笑ってしまいました。これから裸一貫で魔術師を始めるという感じなのかも知れません。(笑)

そしてオラクルカードとして、もう1枚カードを引いてほしいという事だったので、1枚引いたら、出てきたのは「吊られた男」でした。なんか微妙だなあと思いましたが、こういうこともお籠もり中だからできることなのかも知れません。

吊られた男

吊られた男はまだ動けないですからね。しかもこの人も裸だし。(笑) 今はお籠もりしてるわけですから、SorrowやFailureのような感情はここでちゃんと見つめるといいのだと思います。そのためのお籠もり期間でもあるんでしょうね。

とりあえず、とても簡単なミニセッションだったけど、しかもセルフだったし、これでいいのかどうかはまだわからないけど、少なくともやったことによる変化は多少はあったらいいなと思います。


カードとキネシオロジーの掛け算

今日は、たまたまという感じでしたが、こんな風に、タロットカードとキネシオロジーのセッションを合わせてやるというのもありなのかも知れませんね。

いろんな材料を混ぜ合わせて、掛け合わせることが魔術ですし、錬金術ですし、アートにも通ずるのでしょう。思いがけず、瓢箪から駒という感じになりました。

今日は、本の紹介のつもりが、盛りだくさんな内容になってしまいましたが、とても面白かったです。

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