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皇の時代

今の世の中は風の時代だと言われているが、その先には「皇の時代」がやってくるらしい。それは突然やってくるのではなく、もう一部の人で始まっているらしいし、世の中がそのように作り変えられて来ているらしい。
「皇の時代」では人間が楽に楽しく生きられる。今までは苦しんで物を造り、物質的な豊かさを追い求めていたのに対し、これからは心身ともに満ち足りて楽に生きられる。あらゆることに自然が働き、悪いことは司法ではなく自然が罰する。
「皇の信号」を受けて生きる人は、魂職につけるらしい。魂職は、その人が楽に楽しく稼げる仕事であり、今の言葉で言えば天職であろうか。少しのことを学ぶだけで、100のことができる。魂が今までの経験で培った経験が生きるからだろう。そういうのを我々は才能と読んでいるのかも。
魂職につくと、仕事をすればするほどエネルギーが湧いて、楽に稼げるらしい。逆に、苦しく稼げないものは魂職ではない。
魂職につけたら、1週間のうち2日は好きな仕事、2日は興味のあることの研究、残り3日は心から遊べるらしい。ちなみにこの辺の数字とか過ごし方は定かではない。というかこの文全体がそうで、読んで自分なりに解釈したことであるから、本通りではないので、興味があれば原文を読むことをおすすめする。とくにかく、そのように知的に静かに心地よく過ごせるらしい。最高だ。
これが本当であるなら、ホリエモンとか、遊んで暮らしてそうなYoutuberとかがそれだ。なんて素敵なんだろう。
なら私の魂職はなんだろうとここ数週間考えていた。ヒントは幼少期に好きだったことを深掘りしたり、努力しなくてもできることらしい。幼少期に好きだったことといえば、粘土とかお絵かきとか、工作だ。何度も手を加えてその度に違う表情を見せるモノと向き合いながら、黙々と美しさを追求していく。眼の前のものと心を通わせて、自分とか、外側から自分が取り込んだものを写す。そういうのを「魂を吹き込む」と言うんだうと今気づいた。
得意なことで言えば絵画かな。小学校の授業で、外に出て自然のものを描きましょうと言われ、学校の裏側の神社の、石碑と思われる大きな石に隠れていた、コオロギを描いた。気持ち悪いとも思わずに土まみれのコオロギを、できるだけありのままに描いた。ものすごい苦労したというわけでもないが、同級生が描いた、明らかに頭の中のコオロギのイメージを表現した絵とは、写実性で言えば断然の違いがあった。
好きなことで言えば衣服だ。審美的なものはすべからく好きだが、衣服に執着がある。色と形が与える印象が好き。それを身にまとって、一体となって過ごせるから好きなのだろうか。魂職かどうかは別として、今就きたいのはファッションデザインだ。
だが、自分でも不思議なほど、確証と言っていいほど、魂職、あるいは魂職の一つと言えるものがある。物書きだ。物書きからは逃れられないということ。ファッションとか美術とかほどときめかないのだが、誰にも教えられることなく、昔から得意を自覚し、周りにも評価されるものはこれだ。ライターのアルバイトで、校閲の仕事がまるでできず、記事の構成企画とライティングに飛ばされた瞬間、正社員にすごく褒められて、時給も1000円から1600円に上がった。就職が決まって離れるときは、なんとか副職してほしいと引き止められたものだ。前職で働いているときも、職場の人間の、ちょっとした表現や文法の誤りが気になって、いわゆる正しい日本語を調べていた。後輩ちゃん向けに正しいビジネス表現講座を実践し、まあこんなの無限にあるから、違和感を感じたときに都度調べれば良いんだよ、とアドバイスしたら、「そもそも違和感を感じられません」と言われて、ええー!そうなの?!ふつう今まで使ったことない言葉(小生とか)とか、同じ表現でも人によって違う使い方(ご教授いただけますと嬉しいです、とか)に、引っかかりとか感じないの???となって、さらに講座を聞いていた上司が数時間後に堂々と「当方」の使い方を間違っていて、初めて、書き言葉に対するセンサー、もしかして他の人より高い?と感じたものだ。
そんなわけで、書くこととは縁があるように思う。ファッションにも興味があるが、それはサブ的な位置になるか、遊びの一分になるかもなあと思う。そうであるなら、朝早めに起きて、ゆっくり美味しい朝食を食べて、物を書いて、お昼を取った後にちょっと昼寝して、午後ひだまりの中で服作りとか、ファッションデザインをして、日が落ちたら湯に浸かり読書をして10時までに寝てしまう… そんな暮らしだといいし、すごく自然に感じる。
来年は、徐々にそういう生活にシフトしていく年だ。
今決めたからそうなる。

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