外国語学部で学んだその先
私は地方の外国語大学でドイツ語を学び4年間を過ごし、文化研究をしに今の大学に来た。
外国語学部で学ぶ意義を在学時にずっと考え、答えが出ぬまま大学院に進学し、文化研究に路線を切り替えたわけだけれども、4年間ほぼずっと外国語だけを学んだ。
今はドイツ語だけに専念する時間はなく、基本的に文化研究に関するドイツ語論文を読むのがメインになっている。
つまり、ドイツ語を主たる目的として学んでいたのとは違い、論文を読むことが目的となりそこにドイツ語を使うというのが今の状態である。
おそらく、目的(ドイツ語を学ぶこと)が手段(ドイツ語を使うこと)となるということがもっともオーソドックスな外国語学部出身者の語学を使って生きていく方法なのだろう。
で、外国語学部で学ぶ意義について考えた時に、その答えは特にまだ出てこない。新たな可能性が広がるとか新たな世界を見ることができるとかそういう大きな話ではなく、おそらく本当に生活に密着した小さな小さな、例えて言うなら人間のまつ毛に寄生するダニくらいに小さなレベルでの答えになるんじゃないかと最近は考えている。
つまりどういうことかというと、外国語学部で学んだことによって外国語学部という学部の存在を知ることができたわけである。それだけでもかなり大きい。ドイツでは外国語だけを学ぶ学部はあまりないので、外国語学部って何と言われることが多い。なのでそんな人たちに外国語学部の存在を知らしめることのできる人物にもなることができる。
もしかするともっと小さなことで、タコスはスペイン語の複数形ということを知ることができるってことかもしれない。
これが何になるのかと言われると、普通に生きてると何にもならないと思う。
何にもならないものほど多く持っておくと嬉しい気持ちになるのが私なのだけど、どうだろう。
何にもならないというか、何かになるかもしれないものと言った方が適切かもしれない。
そうそう。この場合今「より適切」と書こうとしたのだけど、論文指導の時先生から「このよりってドイツ語で訳できる?できないよね?ってことは曖昧な表現な可能性ない?」と言われてからあまり使わないようにしている。
こんな感じで日本語を書く時にも一度ドイツ語で考えることにより精確な文章が書けるようにもなる。
こういう時に外国語学部でよかったなと思えると外国語学部の先生達はきっと喜ぶはずだ。
外国語学部で学んだその先。
それはおそらく人によっては全く関係のないところに進むことも多い。だけどおそらく生活の中のひょんなことにその経験が若干なりとも生かされているような気がしてならない。
少なくとも私は外国語学部で学んだ経験は、ビールで乾杯をする時目を合わせるということに生かされている。
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