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書籍「無私の日本人」

随分昔に読んだ書籍「無私の日本人」。
年の暮れにまた読み返し、感銘を受けています。

著者は「武士の家計簿」(2010年映画化)で知られる史家、磯田道史氏。

この本を書かれたきっかけは、磯田氏のもとに、一通の手紙が来たことから始まります。

仙台の近く「吉岡」というところに住む三橋さんという方からの手紙です。

要約しますと “その昔、貧しい町だった吉岡の町を助けた9人の篤志家がいた。吉田勝吉という人がこの話を調べて『国恩記覚』という資料集にまとめている、どうかこの話を本に書いて、後世に伝えてくれないか”

著者の磯田氏は、この古文書を読み、泣いてしまった。そしてこの9人の篤志家の話を書かれました。

なお、この9人の篤志家の実話は、2016年に、阿部サダオさん主演で、松竹にて映画化されました。

「殿、利息でござる!」https://www.youtube.com/watch?v=j0ufvkBvFNE

日ごろ年貢を取り立てる藩に対して、庶民が藩にお金を貸し金利をとるという逆転の発想で宿場町「吉岡」を救った実話が、コミカルに描かれる様子です。

私は、この本のあとがきにも、感涙してしまいました。

自分の中にも少しある、いまの時代について感じることだったからです。

下記、この本の磯田氏のあとがきです。

「子どもが、いつか読んでくれたら、という思いで書きはじめた。(中略)これからの日本は物の豊かさにおいて、まわりの国々に追い越されていくかもしれない。だからこそ、この話は伝えておきたいと思った。」(中略)

いま東アジアを席巻しているものは、自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方である。

競争の厳しさとひきかえに「経済成長」をやりたい人々の生き方を否定するつもりはない。彼らにもその権利はある。

しかし、わたしには、どこかしらそれには入っていけない思いがある。「そこに、ほんとうに、人の幸せがあるのですか」という、立ち止まりが心のなかにあって、どうしても入ってゆけない。

この国には、それとはもっとちがった深い哲学がある。

しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が宿っていた。それがこの国に数々の奇跡をおこした。

この国にとってこわいのは、隣よりも貧しくなることではない。

ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっているこのきちんとした確信が失われることである。

地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国。

ほんの小さなことのように思えるが、こういうことがGDPの競争よりも、なによりも大切なことではないかと思う。

(中略)

穀田家十三郎たち、中根東里、太田垣蓮月・・・・・・

この江戸人たちがたどりついた哲学は奥深い。彼らの生きざまを「清らかすぎて」などとは思わなかった。

時折、したり顔に、「あの人は清濁あわせ呑むところがあって、人物が大きかった」などという人がいる。それは、はっきりまちがっていると、わたしは思う。少なくとも子どもには、ちがうと教えたい。

ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を
宿らせた人である。

この国の歴史のなかで、わたしは、そういう大きな人間をたしかに目撃した。その確信をもって、わたしは、この本を書いた。

『無私の日本人』あとがき より

この国をつくってきたのは、
浄化の力を宿らせた無名の多くの方々なのでしょう。

磯田先生と素晴らしい先人に、感謝をこめて。

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